2019年11月1日(大沢優子)
去る10月27日(日)、中部短歌会の創立97周年全国大会が開催された。あと3年で100周年を迎えることになる。
午前中のシンポジウムでは、大正12年2月の創刊号の表紙や目次などのコピーが資料として配られ、興味深かった。発足当時、さまざまな歌風の歌人が集う同人誌的なものであった、ということは現在にもつながる自由な気風があったのだろう。創立の同人に名を連ねている青木穠子氏について、思い出したことがある。昭和61(1986)年10月に、初めて関東で全国大会が開かれたのだが、会場となった鎌倉ホテルは青木氏ゆかりのホテルということだった。私自身、名古屋に住んでいないので、青木氏についての知識は乏しかったのだが、その時以来お名前はよく覚えている。
今年度の短歌賞は吉村実紀恵さん。20歳の頃、出身地の伊勢で親交のあった村田治男氏から「開放区」の田島邦彦氏を紹介され、長い間、このグループを作品発表の場としていたと話された。私も初心の頃、村田先生から津の歌会で短歌の手ほどきを受けた。
実際にお目にかかった人も、お名前のみ知る人も、先輩たちを何かの折に思い出すことによって、結社で共有する記憶が深まるのではないかと感じたのだった。
結社誌10月号から
島がくれゆきたる舟は出で来しや明石ならねどとほく見る海 大塚寅彦
いづこ航く鯱ほこ船や亡き人の笑み黄金のひかりに映えて 同
蔦なせるヘブライ文字を秘むといふ八咫鏡を想ふ野分の夜 同
第1首目は、『古今和歌集』羇旅の部の「ほのぼのと あかしのうらの 朝霧に しまがくれゆく 船をしぞおもふ」を下敷きにしている。元歌は柿本人麻呂の歌と言われ、仮名序にも人麻呂の名歌として挙げられている。島陰に消えゆく船には、離別の哀愁が漂う。船はまたいつか帰港するものでもあろうが、遠くゆく船を眺めていると、二度と帰らないような寂しさが心に落ちるのである。
第2首にある鯱ほこ船は、以前名古屋港の遊覧船として運航されていたものと言う。写真で見ると、大きな金色の鯱を船の上部に冠して、少しぎょっとする派手やかさだ。2000年にはその役割を終えて今は就航していない。作者は若い頃、乗ったことがあるのだろうか?そのとき、傍らにいた人も今は亡く、黄金のひかりのなかの笑顔を回想すれば、喪失感は募り来る。
第3首。三種の神器のうちの八咫鏡の裏面の蔦のような模様は、実はヘブライ文字が刻まれているという風説は以前からあるらしい。厩戸皇子とキリストとの関連なども取り沙汰されることを思うと、ユダヤと日本古代史との間の歴史ミステリーはなかなか興味深い。遠いユダヤから持ち込まれた文化だとすれば、この歌にも船の影が見える、と言ってよいのだろう。船には思いを遠く馳せるロマンと、去りゆく時への哀感が伴う。
念入りに化粧(けはひ)なせども老いは老い二度も車内に席ゆづらるる 杉本容子
瞑目し無口な老いの二人連れ夫婦だらうか 八月(はづき)空寂 同
三度にもわたる名古屋の大空襲「焼け死に」免れ「焼け出され」なり 同
第1首、初めて車内で席を譲られた時は私もびっくりした。考えてみれば、自分が若い時、老人に見える人たちは大勢いた。そして何歳になっても、自分より年上の人が老人と思う感覚が抜けない。作者はそのような意識を十分わかっていて、楽しく自らを戯画化している。この矜持が心強い。
第2首、互いの存在を気に懸ける様子もない二人連れを見ながら、夫婦だろうかと思う作者は、最近、伴侶の方を亡くされたと聞いている。ある意味安心しきったような二人連れに、作者は羨ましさと同時に、共に在る時は気付かない時の無常を見ているのだろう。「空寂」の響きが重い。
第3首、空襲を体験している世代の人も少なくなってきたが、その時の記憶は後になって鮮明になるのかもしれない。偶然に生の側に投げ出されたような、表情の抜けた感覚が
現実の恐ろしさをリアルに伝えている。
今、神奈川近代文学館で「中島敦展」が開かれている。高校の教科書で最初に出会った『山月記』は強く印象に残っている。李徴の煩悶は、青春の心に親しいものであり、その端正な文体は心地よかった。
中島敦(1909ー1942)は、短歌も詠んでいて、全集に収められている。
赤髯の神父咳(しはぶ)き過ぎ給ふ異国の秋は風寒からめ
あさもよし喜久屋のネオンともりけり山手は霧とけぶれるらしも
元街の灯ともし頃を人待つと秋の狭霧に乙女立濡る
仄青き陰影(かげ)飾人形(マヌカン)にさす如し雨近き午後の硝子透して
スケッチと題する一連に、横浜の街を行き交う様々な国の人や風俗を詠んでいる。また今も残る菓子店の名もあって、親近感をもつ。マヌカンの歌などは、今の歌と言っても違和感がなく、若くして亡くなった敦の繊細な抒情がうかがわれる。
ところで、2021年から始まる高校の国語改革により、教科書から『山月記』も漱石の『こころ』も消えて、代わりに契約書の読み取りなどの実学的なものが導入されると言われている。近代文学はますます、片隅に追いやられ、当然近代短歌に高校生が触れる機会は薄くなっていくのだろう。このような潮流に危機感を抱き、日本文藝家協会に続き、日本歌人協会、日本歌人クラブも連名で声明を出している。高校生にはこれからも中島敦の涼しい文章を詠み継いでほしいものだ。