2018年5月1日(神谷 由希)

G・Wも終り、人の心も日常に曳き戻されつつあるこの頃、燕忌も近く落ち着いて結社誌の歌を読み返す気持ちとなった。先ず大塚代表の歌から二首。

〈喪ひ〉を深く知りしか幸ひに笑む人見つつふとさしぐむは   大塚寅彦
しろき蝶けむりの如く翔ちゆきし苑生は碑なき墓所にあらずや   同

挽歌と言うには、生なましい悲愴感より、詞の美しさに拘る哀傷が読み手に伝わって来る。苑生に立って亡き人の魂の象徴のような蝶を見ている作者、その心の葛藤が見せる一瞬の幻想が、どこか傷ましい。「歌壇」五月号所載の挽歌、

海境をともに越えなば死は君に追ひつき得ずと思(も)ひきデッキに  大塚寅彦
Ω(オメガ)とは果の意にして汝が死後の時を刻めりわれの腕に
ともに時間(とき)刻みゆかむと君呉れし腕時計なり永久(とは)に刻めよ
車椅子マークいまだ剥がし得ず ルームミラーに君を見し日々

「白雲のごと」より四首を引いた。これらと合わせて読むと、作者の追慕の深さが察しられる。

みづからの危ふき淵をのぞかねば水妖の声を聴くことなけむ   大沢優子

この歌の前に二首「ローレライ」の歌が二首置かれているのだが、「ローレライ」と同様、水妖は「シレエヌ」「オンディーヌ」等々名を変えて、伝説や神話の中に生き続けている。また、春日井先生の作品「水妖」(歌集『靑葦』所収、十首の連作)の美しい一聯を忘れる事は出来ないであろう。人間を魅了し、惑わすその声は、怖れながらも快楽に身を委ねようとする者の耳にしか届かない。いつもながらの作者の〈ひねり〉ある詠みぶりが、人間性への考察らしきものを窺わせて面白い。

春の字を逆さまに貼る表戸に黒犬眠る夜のあたたかさ    三宅節子

作者は台北在住とある、上句の〈春の字を逆さまに貼る〉とは、中華圏で行われる「倒福」=「到福」の意に似たものかも知れない。〈表戸に黒犬眠る〉は、繋がりに少し無理があるように思えるが、〈黒犬〉はイメージとしてよく利いている。

空き腹を抱えて開けし冷蔵庫しろ猫跳びだす錯覚のあり   山口竜也

不思議な感じの歌ではある。空き腹を抱えると言う現実的な上句から、突如しろ猫が跳び出す妄想に移る。〈しろ猫〉は何の喩か、分かるようで分からない所だが、開けた冷蔵庫が空っぽで白じらしく見えたのか、あるいは単に白い内装の謂か。白猫でなく〈しろ猫〉と開いているので、どうも期待外れの前者の感がある。

給食の郷土料理は五平餅 定番にプラスハヤシライスを    市岡利津子

空腹の歌の次に申訳ないようだが、大好物なのに滅多に食べられない五平餅が給食とはと、驚いた所で抄出。連作の中、丸善の創始者〈早矢仕有的〉がハヤシライスの考案者とあるが、本来はハッシュド・ビーフが転じた料理と思っていたので、これも勉強になった。

うつむきて靴下を脱ぎ今日という再びは来ぬ一日を終る    木下容子

誰しもある一日の終りの感慨。〈うつむきて〉〈靴下を脱ぎ〉という、日常の動作の中に短歌のもつ抒情性をくっきり浮き出させた作品。

次に丸井重孝著『不可思議国の探究者 木下杢太郎―観潮楼歌会の仲間たち』(短歌研究社刊)について。坂井修一氏の帯評にある通り、詩人、劇作家、小説家、画家、医学者、様々な貌を持つ木下杢太郎(本名・太田正雄)が、近代文学界に果たした役割を、厖大な資料と緻密な考察により繙いてゆく書物である。その中から森鷗外主催の「観潮楼歌会」に参加した際の作品について触れて見る。杢太郎が初めて歌会に参加したのは、明治四十一年十月三日であり、

十月は枯草の香をかぎつつもチロルを越へ(ママ)でイタリヤに入る

の一首のみ。その後明治四十二年一月、二月、三月、四月、九月と翌年九月迄計六回参加している。この歌会を通じて名歌秀歌は生れていないが、参加者が当時よく知られた文人や、後に大成した少壮の人々であった事、鷗外とヨーロッパの文学の話を親しく交わす事が出来たのに、大きな意味があったのではないかと著者は述べている。その頃の歌会の形式は、ほぼ題詠、互選、批評という方法であり、一人が何首出しても何首選んでもよかったとある。参考までに明治四十二年三月六日の歌会に於ける得点と歌を記しておく。

5点 天主堂祈祷果てたる広場をば小ばうきをもてはきゐる少女 (太田正雄)
5点 祭りの日の群衆の中を馬が通る荒馬透そこのけそこのけ  (作者不明)
4点 旅に来て玉ころがしの遊びする子等に交ればうき事もなし (北原白秋)
3点 小石打てば水に起きたる八重の輪の動きを見つつ物思ひ湧く(伊藤左千夫)
3点 自動車は走せ去りぬ荷馬車ゆく町を箒売りゆく節のびらかに(佐々木信綱)
3点 大空に輪をかく鳶はぴいとろろぴいとろひやろとひとりうかるる(太田正雄)
3点 ごむまりを電車の道にまろばしてとりもえなさで泣くうなゐあはれ(太田正雄)
3点 立てかけしははきのごとく閑として黙然と門の戸に倚る  (平野萬里)
3点 答ふらく君が心のあまりにもすぐなる故に君を疎んず  (佐々木信綱)

歌評(月2回更新)

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