2013年2月1日(紀水章生)
まずはNHK短歌二〇一二年十二月号より。天野慶氏によるジセダイタンカのコーナーの「冬の羽根」七首(吉田隼人氏)から一首。
はつねつの感情線にみづと化す ゆめのなかでもふつてゐた雪 /吉田隼人
感情線ときけば「ああこれは手のひらだ」と直感的に思う。てのひらが発熱してとかす。…そして、みづと化すのは何かが結句でやっと明らかになる。この歌の滞空時間は長い。
ゆめは扱うのが難しい言葉と言われるが、この作品ではうまく配置され、広がりと奥行きが生まれているように感じられる。
続いて、同じコーナーの「FROM DUSK TILL DAWN」七首(沼尻つた子氏)から一首。
軋みつつひらいた傘の骨の錆たいていのかなしみは既出だが /沼尻つた子
「軋みつつひらいた傘」でもわかるが、さらに「骨」さらに「錆」とディテールへ迫っていく。丁寧というよりも、ズームアップしていく迫力を感じた。長年使い込んだ傘が想われ、それはまた長年繰り返してきた日常にもつながっている。作者は東日本大震災を意識した作品を多く発表しているが、下の句の「既出」と対になるのは「想定外」であろう。
続いて、同じコーナーの「繰り返す」七首(菊池孝彦氏)から一首。
愛していると言い過ぎれば死んでしまう 愛してなんかいないもんかと言う /菊池孝彦
この作者は定型にはこだわらない作風のようだ。第三句までのフレーズに強烈なインパクトがあり惹かれた。下の句は「愛してなんかいないよと言う」となるのかと思ったら、ひねりがあって「あれ?!」という感じ。これが良いのかどうか、わたしにはよくわからない。とりあえず第三句までで完結しているようにも思われる。
角川短歌二〇一三年一月号、歌壇時評「難しくしないでも」大松達知氏から…。藪内亮輔氏の角川短歌賞受賞作の選考座談会について書かれたくだりを興味深く読んだ。
選考座談会で言及され評価の高かった歌として、藪内亮輔氏の
鉄塔の向かうから来る雷雨かな民俗学の授業へ向かふ
きらきらと波をはこんでゐた川がひかりを落とし橋をくぐりぬ
みづからを抱くかたちに蛇がゐてしづかなりさくらばなは降りつつ
右がはの後の脚がとれてゐる蜘蛛が硝子の空をわたるよ
の四首を掲載。アクロバティックにキラキラした言葉をつなぐ方向ではなく地味ながら骨格のしっかりした歌に評価が集まっているようだとある。
また、今回の作品の傾向や今後への期待について、小島ゆかり氏の次の言葉を取り上げている。
「両極端だなと思ったのは、分かりやすいけれど通俗的な方へ流れていくパターンと、反対に何かを言おうとしているけれど、そこまで難しく言わなくてもいいじゃないかというような表現に分かれてしまっていたこと。それぞれに個性があるのはいいことですが、もう一度出発点に返って、分かりやすくてギョッとするような歌が本当は一番いいんだという意識を、歌を作るときにきちんと持った方がいいと思いました。」
まずは先の藪内作品のように、分かりやすくなおかつディテールがしっかりと描かれていること。さらにその先に「分かりやすくてギョッとするような」優れた作品があるということか。
次に中部短歌結社誌一月号会員欄「紅玉集」の作品から。
上の句からは巨大な砂時計をイメージした。影はガラス窓に写っているシルエットだろうか。事実に即しているのか想像なのかはわからないが、「影を脱ぐ」という表現からは単なる影以上の何かを脱いでいるような気配がありどきっとさせられた。
菩提樹はおのが
風が吹いているのだろう。木は風で揺れている。木は動けないけれども、そうやって立っている間に雨に打たれ風に揺すられしながら成長し命を長らえ、やがて死を迎える。リンデンリンのオノマトペが美しい。
今回は同人欄からも印象的な作品を取りあげておきたい。
秋深く朝の毛布にくるまりて有袋類の仔のやうなわれ /近藤寿美子
ここに有袋類を登場させるとはさすが…。ふつうの毛布の温かさではなく、血の通った生き物の温かさとして表現されることで、温かさの質が変わり、直接肌に沁みてくるような感じになる。
決められた襞のとほりにたたまれてさみしき傘を傘立てに置く /吉田光子
なぜ傘なのか、なぜ傘の襞なのか…。しかし「さみしき傘」が妙にぴったりくるのが不思議である。
傘は広げられて雨の中で役割を果たすときが花。きれいな花柄の傘なのかもしれない。役割を終えるとたたまれて、ちいさくひっそりと玄関のかたすみに片付けられてしまう。そういう傘という存在の有り様に作者は気が付いているのだろう。
このおふたりの作はいつも楽しみに拝見している。