2012年2月15日(長谷川と茂古)
寒い冬である。暖冬に慣れていたせいだろうか、カイロが手放せない。それでも立春を過ぎてから、日が少し長くなってきた。梅の便りもそろそろ。春が待ち遠しい。
さて、結社誌2月号は恒例の十首詠競詠特集。会員・同人の区別なく、十首の連作が掲載される。
大雪の朝に生れしという我の名前のいわれ聞きて過ぎたり 石橋由岐子
結婚式出産の日も雪降りし我は雪の子逝く日も雪や 同
この二首を読むと、「聞きて過ぎたり」という時間の長さ、人生を達観するに至るなにか大きなものに、圧倒される。「雪の子」と題された一連、淡々と暮らす日々は諸行無常の観があり、「逝く日も雪や」と詠う作者に脱帽。
廃線の駅舎はいつか売店となりて土日は客足のあり 山村博保
通勤に使っていた電車。乗り換えの支線のうち四つが廃駅となり、淋しさと愛おしさに溢れる連作「鉄路」の一首である。「土日は」というところに現実味がある。
廃屋に蔦の濃緑(こみどり)絡まりて居場所得たれば蒼天に伸ぶ 蟹 尚行
愛知県にある段戸を訪ねた際の連作「段戸北麓」の一首。段戸は、命からがら満州より引き揚げてきた人々が、入植した場所である。青年は、満州開拓という国の推進事業に希望を託し、女性は「大陸の花嫁」ともてはやされて日本を出発したのも虚しく、帰ったところで住む場所も、財産もなかった。「居場所得たれば蒼天に伸ぶ」に、子どもを育て、生きていくために、再びゼロから出発した人たちへの思いが込められているようだ。
ケータイは携帯式の電話より退化せり異種交配のはて 堀田季何
あの時の橋だと思う。揺るがないはずだったのに流れたお星 中畑智江
「短歌研究」で今、書評を担当している堀田さん、今年から中部短歌誌の時評を担当している中畑さんの作品。共に、中部短歌一押しの若手である。ケータイに様々な機能がついて便利になった、とはいえ、電話としての役割はどうなのか。音楽を聞いたり、お財布にもなったり、パソコンとしても使えることを「異種交配」と揶揄する。進化しているようで、実は本来の能力が劣ったじゃないか、と指摘する。「橋」と「お星」、「揺るがないはずだった」信頼が、ともに「流れた」。昨年の震災、原発事故を想像させる構成に技あり。
続いて角川「短歌」2月号から。
巫女の性質(たち)はげしき河野裕子なり永田和宏のおろおろを知る 一ノ関忠人
「波」に連載されている、永田氏の「河野裕子と私 歌と闘病の十年」を読んでの歌。現在、第九回。歌でしか知らなかった歌人の闘病の様子から、プライベートな空間が描き出される。「知る」ことにも「おろおろ」するような感じがある。
つやつやとあかくかがやくプラセンタ うつくしい後産(あとざん) 光本恵子
「へその緒」と題された一連、娘さんのご出産に立ち会ったと思われる。アンチエイジングの美容液として、「プラセンタ」が使われ出したのはいつからだったろう。胎盤を意味することを知ればぎょっとするのだが、動物性のもの以外に植物性由来のものもある。後産をみたことはないが、「つやつやとあかくかがやくプラセンタ」と言う表現は、現代ならでは。