2011年12月1日(大沢優子)

結社誌『短歌』11月号より

小さき檻に捕われし五匹の猪の子のぶつかり合いて咆るが哀れ 纐纈典子

最近は町中にも猪があらわれると聞くが、収穫の秋、農家にとって猪は大敵、しかも猪はなかなかの知恵者らしい。捕獲されるのはやむをえない事。だが、狭い檻におしこめられて、ぶつかりあう五匹もの仔猪を見る作者は、「哀れ」と言わないではいられない。「哀れ」という詠嘆のことばは、やや古風であるが、「あはれ」が歌心の発する原点であることに間違いはない。

「アマゾン」の書籍注文するたびにアマゾン川越ゆる心地しており 木下容子

私自身もしばしばアマゾンで本を買う。世界最大の流域面積をもつアマゾン川に命名の由来をもつインターネット書店は、「最速で」と購買者を誘う。注文した本がアマゾン川を渡って届く、と表現するところだろうが、作者はネットで「買う」という行為の茫漠として落ち着かない気分を、向こう岸の見えない川を「越ゆる心地」と捉えていると思われる。新しい本を買って、家に着くのももどかしく袋を開いたわくわく感は、利便性追求のもと、片隅に追いやられつつあるのだろう。

欲しかった音源ふにゃふにゃフォノシート〝雪の降る街を〟雪降る日に買う 日比野和美

1950年代から60年代にかけて、レコードより廉価なフォノシートが、若者にも手の届くものとして普及した。その後、音源は果てしなく進化し、いまや家に所有している曲をすべて再生して聴くのは、不可能と思える程だ。雪の日に「雪のふる街を」を買う、という往時の若者の気障な気負いが懐かしい。欲しいもの、買いたいものが視えていた時代である。

大塚寅彦代表が、結社誌『未来』11月号にゲスト評者として、黒木三千代さんの歌を、源氏物語の六条御息所にからめながら、取り上げていた。黒木さんの歌は、情念の深さが魅力的である。

『短歌往来』12月号、特別作品、黒木三千代「渡る」33首より

杉の葉の髭せりせりとてのひらに 故(かれ) ゆるやかにきみを領する 黒木三千代

男の髭が、杉の葉のようにせりせりとしている、というのは、とても清新な比喩であり、かつ匂いたつように官能的でもある。接続詞として上代の「故」を置き、「きみ」への相聞を披いていくこの歌は、体感に訴えながら、古歌の雰囲気も揺曳する。杉の林に立つ女神のように、率直な愛の表白があり、様式的でありながら、瑞々しい。

同じ特別作品欄、小笠原和幸「老人」33首より

男なら極道者に成るべきを己れチキンで作(な)す短歌(みじかうた)  小笠原和幸

チキンは英語のスラング「臆病者」のことであろうが、現実に鶏肉の骨などせせる光景としても面白い。凹んだ表現をとりながら、短歌に携わる人生への自恃も見え隠れする。

大きな詠風の黒木氏と、おかしみを漂わせつつ自己発信の確かな小笠原氏の歌と、対照的な男女の歌が楽しい。

歌評(月2回更新)

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