2020年4月15日(長谷川と茂古)

コロナウイルスによる外出自粛の日々、あれこれと取り寄せることが多くなった。配達してくれる方達には申し訳ないと思う。先日は、ウォーキング・シューズをアマゾンで買ってみたが、やはり履いてないから微妙な感じである。自粛要請が解けたら、あちこち出かけたくなるんだろうなあ。

さて、結社誌4月号より。

美しき感染あらね籠りゐて『ヴェニスに死す』の少年見つむ  大沢優子

さても、中部短歌らしい歌であろうか。現代は、さまざまな動画サイトでドラマや映画をみることができるし、BSやCS放送もある。『ヴェニスに死す』をチョイスした理由は分からないが、初句の「美しき感染」に心魅かれる。少年の美しさに魅入られたアッシェンバッハは、ある意味、感染したのかもしれない、理屈ではない美への執着という病に。このごろは、「<ヴェニスに死す>症候群」という言葉があるらしいが、結句の作者の視線、「見つむ」は、結構冷静な感じがする。

父聞きいし講談妙に懐かしく今をときめく神田松之丞(まつのじょう)ききに 松岡孝子

松之丞は2月に六代目神田伯山を襲名した。人気者らしくテレビ出演も多い。筆者はまだ聴きに行った事はないが、テレビでの講談を見ていると、憑かれたように語る姿が少し怖い印象がある。どことなく影があるように思うのは、落語の立川談春と似ている。人気があるのはこの暗さがあるからではないか。独特の拍子も早くて、心臓の弱い人にはどうかと思う、・・・と文句が先に出てしまった。作者は、普段講談を聴いたりすることがないが、昔「父聞きいし」という、父の思い出とセットになっている。連作「講談師」には、作者が聴きに行った日の読み物が出てこない。もしかすると原稿にはあって、掲載されるときにおちたのかもしれないが、何だったのだろう。作者は、CDにサインと握手をしてもらい、楽しい夜を過ごしたようだ。

羽子板に乗せられ 叩かれ飛ばされた六才の羽根見つからぬまま  山下聖水
クレヨンで作ったような赤い月 令和二年睦月十五夜       同

六才のときの思い出。羽根を失くして叱られたのだろうか。連作「無声の動画」は年末からお正月を病院で過ごした時のことが詠われている。病室で過ごすのは、何とも落ち着かず不安定な気持ちになるものだ。寝つけずにいると過去のことがふっと浮かぶ。あのときの羽根はどうなったのか。見慣れない窓からみる伊吹山や、十五夜の月。クレヨンで書いたのではなく「作ったような赤い月」は違和感を倍増させる。おそらく月が上り始めるころの月。今年最大のスーパームーンは、4月8日だったが、上り始めるときの色は濁ったような赤だった。なるほど「クレヨンで作ったような」感じだ。

4月5日の日本経済新聞に水原紫苑さんの「永遠のジェラール」というエッセイが掲載された。ジェラール・フィリップに突然恋に落ちたという氏は、自粛暮らしのなか、ジェラール・フィリップ祭りを楽しんでいるらしい。美男で有名であることと『肉体の悪魔』を観たことがあるくらいで、筆者にはあまり馴染みのない俳優である。どちらかというと男優よりも女優の方に興味がある。クラウディア・カルディナーレ、シャーロット・ランプリングに憧れる。美男というのはどうも苦手なのかもしれぬ。ちなみに、ジェラール・フィリップの愛称は、代表作の一つ「花咲ける騎士道」での役名ファンファン。ファンファンといえば、岡田眞澄のファンファン大佐。美男の愛称だったとは知らなかった。

歌評(月2回更新)

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