2015年11月1日(長谷川と茂古)
霜降も末候となった。今年は秋らしい日々に恵まれている。ここ数年は残暑が長く秋が短かく感じられたように思う。秋の夜長といえば読書。図書館で見つけた森鷗外の遺珠集というのがあって、そのなかの「サフラン」という文章を興味深く読んだ。少し、引用したい。
・・・私は子供の時から本が好きだと云はれた。少年の読む雑誌もなければ、巌谷小波君のお伽話もない時代に生まれたので、お祖母さまがおよめ入の時に持つてこられたと云ふ百人一首やら、お祖父さまが義太夫を語られた時の記念に残つてゐる浄瑠璃本やら、謡曲の筋書をした絵本やら、そんなものを有るに任せて見てゐて、凧と云ふものを揚げない。・・・
森鷗外というとよく知られているのは『舞姫』などの小説だが、読むのはもっぱら娘の茉莉のもの、という筆者はいま一つ鷗外には馴染みがなかった。引用した文章を読んで、幼い頃より和歌、謡曲の要素である古歌、古詩、物語、台詞などに親しんでいたということから、詩や戯曲などの翻訳、史伝の執筆になるほどと思った。観潮楼歌会という言葉を知ってはいても、鷗外の短歌を読んだことがない。ううむ、読んでみるか。
さて、歌評は中部「短歌」10月号から。
大戦の話題きくたび胸底の夏野にひらく刺ある薊 長谷川径子
結句「刺ある薊」が惜しい。「薊」と言えば、刺を持っていることは当然浮かぶ。それをつい説明してしまった。なにかしらの違和感を「薊」に例えたところ、「胸底」に「夏野」が広がっているのも詩的な表現で素晴らしい。
「俗に言う十円ハゲです」皮膚科医は笑えぬ現実たんたんと告ぐ 太田典子
状況が目に浮かぶようだ。ストレスを抱えて過ごす作中主体の日常が連作「今日も青空」に表現されている。タイトルも良い。医師の言葉「俗に言う」がなんとも面白い。たしかに「十円ハゲ」は病名ではない。医師と患者のやりとりの妙が巧く描かれている。
ボルジアの少女の髪の奔放か砂利かく音の深夜に響く 雲嶋 聆
ペットの亀にルクレツィアと名付け暮らす日々を詠った連作の一首。ルクレツィア・ボルジアは悪名高きボルジア家ロドリーゴの娘。長く見事な金髪と美しい容貌で知られる。深夜、作者を呼んでいるのだろうか、ルクレツィア(亀)が砂利をかく。その音にすぐさま駆けつける作者。もうルクレツィア(亀)の奴隷である。「少女の髪」と「砂利かく音」の組み合わせが妙。
今年の中部短歌95周年全国大会は、10月25日に行われた。上に挙げた長谷川径子さんが短歌賞、奨励賞に太田典子さん、新人賞は雲嶋聆さんが受賞された。また、10月号に掲載されている「戦後短歌の色彩史」を書いた鷺沢朱理さんが評論賞となった。おめでとうございます。今後ますますのご活躍を楽しみにしています。