2020年10月1日(川野睦弘)
岡井隆さんとは、ついに面識を得ることができなかった。幾たびか、遠くからその姿を見かけたことはある。
30年ほどまえ、ぼくが下りの新幹線こだま号の席についていたら、豊橋駅のホームから岡井さんが乗りこんできた。空席をみつけると、そこに腰をおろして、何枚もの葉書を読みはじめた。そのころの岡井さんは、いくつかの新聞歌壇の選者をつとめていたので、選歌の作業にちがい無い。とても声をかけられる雰囲気では無かった。
古谷智子「眼光の人」8首
突然の訃報は夕べのネットより流れてしづかにこころを揺らす
能楽堂檜舞台をともにせしシンポジュームのこゑの艶めき
岡井隆、春日井建の両輪に走りきNHK短歌大会
二頭立て馬車にて駆りし中部歌壇 はるかな昭和の土煙みゆ
名にしおふ岡井隆といふひびき字面音感ともに精悍
眼光の人にて老いても漂はすエロスは深き知の泉より
突然のお召しもあると片笑みて目を細めたり御用掛は
コロナ以後は知らず語らず詠はざる時の流れを塞き止めながら
中部「短歌」9月号から、今回はこの1聯をとりあげる。
1首目。ぼくもネットニュースで訃報を知ったひとりである。岡井隆は7月10日午後0時26分に心不全のため自宅で亡くなった。その死歿日をもって彼は従四位に叙せられ、あわせて旭日中綬章を追贈せられた。
2首目。能楽堂でおこなわれたシンポジウムが何かは判らぬけれども〈檜舞台をともにせし〉という、役者に擬したフレーズがおもしろい。バリトンの〈こゑの艶めき〉を、ぼくもどこかで耳にしたことがある。
3、4首目は、岡井隆と春日井建のふたりが、文藝の振興と後進の育成とのために尽力した事実をのべる。〈中の会〉は、1980年代に中部地方で活動した超結社集団である。3首目の〈両輪〉と4首目の〈二頭立て馬車〉の比喩が、ふたりの奮闘ぶりを的確にとらえている。
5首目。角川「短歌」10月号に、塚本邦雄が撮影した、若かりしころの岡井隆の〈精悍〉な姿が載っている。手術中とおぼしいスナップショットは、アメリカのテレビドラマ『ベン・ケーシー』を気取ったものか。
6首目。プラトンの著書『饗宴』がおもい出される。プラトンは、エロスをもとめる心を、知をもとめる心にひとしいものと肯定する。〈深き知の泉〉というけれども、エロスと表裏一体をなすゆえに、決してひそやかな、つつましいものでは無かろう。中部「短歌」9月号には〈底知れぬ知に迷わする歌あまた岡井隆きぞ身罷りぬ〉という岡村千穂の詠草が載っている。ひとりで歌人3人ぶん生きたような怖ろしさを、ぼくは岡井隆に感じる。
7首目。岡井隆は、宮内庁の和歌御用掛を2007年から2018年までつとめた。その期間は、彼の80歳代にあてはまる。〈片笑みて目を細め〉と、たくみなスケッチがなされて印象ぶかい1首である。
8首目。2句切のうたであろう。3句目の動詞連体形は、直接4句目以降にかかるものと、まずは見なしておく。上句の主語を岡井隆とするならば、最晩年の作品や発言のなかで、ついにコロナ後の世界について触れずに終った、と解釈できる。下句の〈時の流れを塞き止め〉は、歌人の死であろうか。なお、かりに3句切と読むならば〈知らず語らず詠はざる〉は、あえて世間に背を向ける〈私〉の態度の表明か。
死がうしろ姿でそこにゐるむかう向きだつてことうしろ姿だ
ああこんなことつてあるか死はこちらむいててほしい阿婆世(あばな)といへど
この2首が、結社誌に発表せられた岡井隆の絶筆という。ことしの「未来」6月号に載った7首1聯の末尾にあたる。歌というよりも叫びである。読んでいて切なくなる。
〈うしろ姿〉〈むかう向き〉の死とは何か。〈私〉に肉迫しつつ、たやすく素顔をみせない、それゆえ〈私〉に強いプレッシャーをあたえつづける不気味な存在であろうか。
〈あばな〉とは、中部地方の方言で「あばよ」と同義である。漢字にルビをふったのは、愛知県人の矜持からか。