2019年10月15日(川野睦弘)
「中部短歌」2019年10月号から。
大塚寅彦「野分の夜」5首一連
島がくれゆきたる舟は出で来しや明石ならねどとほく見る海
いづこ航く鯱ほこ船や亡き人の笑み黄金のひかりに映えて
南洋の熱り運びてくる野分 ネオンテトラの光さやげり
蔦なせるヘブライ文字を秘むといふ八咫鏡を想ふ野分の夜
タイタニック乗らず残りし自鳴琴(オルゴール) 深海の音の洩るる夜なきや
1首目は、古今和歌集羇旅の部に柿本人麻呂の作と伝える歌〈ほのぼのと明石の浦の朝霧に島がくれゆく舟をしぞ思ふ〉をふまえたか。ここで注目したいのは3句目だ。〈出でゆきしや〉という、はるか彼方を見やる言いかたでは無く、ある地点に立って、そこを過ぎ去ったものをおもうべく〈出で来しや〉と歌っている。作中の〈私〉は、明石大門さながらの海峡のほとりに立っているらしい。〈出で来しや〉といえば、伊勢物語のなかに、女の多情をなじる男の歌として〈出でて来しあとだにいまだ変らねど誰が通ひ路といまはなるらむ〉という1首がある。
2首目。下句で、亡き人のおもかげが偲ばれる。その笑顔を黄金いろに照らした〈鯱ほこ船〉といえば、20世紀のおわりごろに登場し、どえりゃ〜気質の権化として人気を博した遊覧船金鯱号をおもいだす。ミレニアムを境に杳として行方が知れなかったが、聞くところによれば、いまは韓国のインチョンという港町で余生をおくっているとかいないとか。となると、1首目の〈舟〉も、名古屋から韓のくにへ売られていった金鯱号のことなのか。そんなことはあるまい。
3首目。たしかに颱風(野分)のあとさきは空気が蒸れるし、いわゆる〈颱風のたまご〉は南洋上で孵る。ここに不意にあらわれる熱帯魚〈ネオンテトラ〉の原産地はアマゾン川流域の由だ。
4首目。またしてもトンデモ系の歌だ。伊勢神宮が秘蔵する八咫の鏡には〈わたしは過去・現在・未来にわたって存在するものである〉という意味のヘブライ文字が刻まれているらしい。
5首目。タイタニック号進水までにできあがらなかったドイツ製の自動演奏楽器が、山梨県の河口湖オルゴールの森美術館に収蔵せられている。大人の背丈の2.5倍という、文字どおりのフィルハーモニック・オーケストリオンだ。作中の〈自鳴琴〉は、やはり一般的な形のオルゴールをイメージするのが妥当だろう。
杉本容子「八月空寂」から3,5,6首目を。
なにひとつ頼るものなき直走り三月未明炎上の道
あの夜のケロイド足にのこるゆゑ隠して隠してきたりし戦後
低迷を許さじと鳴く油蝉クロガネモチの幹に列なす
掲出歌1首目。〈直走り=ひたばしり〉という動詞が効いている。名古屋大空襲の罹災体験をモチーフとし、かぎられた言葉をもちいて読者に臨場感を催させる。
2首目。秘むべき〈私〉の過去が平明な措辞のもとに吐露せられる。生きるとは、あるいは心と体に瑕を負いつづけることか。
3首目。クロガネモチ(黒鉄黐)はモチノキ科モチノキ属の喬木で、つやつやしい葉を夏に生いしげらせ、秋には南天や千両、万両のように赤いつぶら実をこまごまと結ぶ。上句は〈私〉の信条でもあろうか。言われてみれば、蝉の声に〈低迷〉〈許さじ〉という人語がこめられているようにおもえる。