2016年10月1日(雪村 遥)

結社誌は「短歌」9月号から。

クラウドにひつそり保存したはずのさびしさ空を漂つてゐる  吉田光子
グラスにはあまたの指の儚さの記憶のありて響き合ふらし  同

一首目。「クラウド」とは、パソコンなどの端末に入っているデータをインターネット上に保存する「クラウドサービス」の略称。英語では「雲」を意味する言葉である。この作品でも文字通り、空を漂う「雲」と、保存したデータの中に潜ませた「さびしさ」という心情とを重ねあわせている。最先端の通信技術がもつ複雑な概念を、叙情的に伝えることに成功していると思った。短歌は長い歴史のなかで残り続けてきた詩形であるが、改めて短歌のもつ未来の可能性を感じさせられた。

二首目。このグラスは「あまたの指」の記憶を持っているということから、個人の持ち物ではなく、レストランやバーなどで使われているものではないかと想像した。パーティーで乾杯するときにグラスが美しい音を響かせるのも、そのグラスに触れた人々の指先から伝えられた、悲喜交々の記憶が宿っているからなのだろうか。柔らかい着想であると思った。「儚さ」という語句も、グラスの共鳴する繊細な音にふさわしく、効果的である。

初期化する以前の我といふべけれ昼の記憶で夜を眺める  菊池 裕
まだきみが鳥だつたころ俯瞰した海の秘匿を一滴おとす  同

一首目。「初期化」についてはいろいろな解釈ができると思うが、「昼の記憶で夜を眺める」という下句から、「初期化」とは眠りから目覚めの過程を指しているものではないかと連想した。人は眠りから覚めるときに睡眠中の夢の記憶を失う、つまり「初期化」されてしまうからである。また、眠りは小さな死であり、目覚めは小さな誕生であることから、この連作の主題である「生態系」の根源的な在り様にまでイメージを膨らませていくことも可能であると思った。

二首目。詩情豊かで、不思議な作品である。「きみ」と主体との関係性が明かされていない分、やはり解釈の自由度は高いと感じた。まず思い浮かんだのは、「きみ」が泣いている場面である。「きみ」が何らかの理由で一粒の涙をこぼし、その様子を見た主体が本作品のような印象を持ったのだとしたら、いかがであろうか。ほかの場面も考えられるが、いずれにせよ「まだ君が鳥だつたころ」「海の秘匿」などのモチーフは、生命が種を超えて輪廻するかのような、宇宙的な時空の広がりを感じさせる。

総合誌は「現代短歌」10月号より。

この家が世界のすべてわが猫は雪降る外を窓として見る  田宮朋子
実物にまさりて妖気あるごとき猫といふ字をつくづく眺む  石川不二子
猫の背中子どものあたま愛されてやまぬものみなまろきかたちよ  高木佳子
白き猫すうと消えて椿咲くあたりに猫の匂ひとどまる  外塚 喬

「特集 猫のうた」では、猫を主題とした実に多くの歌が挙げられている。猫という動物は、その人の捉え方によってこんなにも様々に変容するものなのだ、ということに感慨を覚えた。猫は人間の生活の最も近くに在りながらも、一歩離れたところから醒めた眼で人間を観察しているように見える。彼らは時に安住の地を持たない野生の獣であるが、その一方で、飼われていてもふいに家出してしまうことがあり、なんとも掴みどころのない生き物である。

一首目では、猫は主体と繋がって、どこか感覚を共有しているかのような存在であるが、二首目では得体の知れない妖気を漂わせている。また、三首目では愛を注ぐべき対象であり、四首目では幻のように消えていってしまうのである。そのような、猫の持つ多面的な存在感が、それぞれの詠み手に異なるインスピレーションを与えるのであろう。時間軸の上で、次々と紡ぎだされる猫のメタモルフォーゼに終わりは無い。私たちはこの決して解けないメビウスの輪のような生き物に対して、まるで謎解きでもするかのように各々の有り様を重ねあわせていくのではないだろうか。

歌評(月2回更新)

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