2019年2月1日(大沢優子)
新しい年が明けたばかりと思っていたのに、たちまち1月も過ぎて行く。時の経つのが本当に速い。
先日、北原白秋と山田耕筰の交友を描いた映画『この道』を見ようと思い、上映時間を検索したら、すでに終了していたことを知り、愕然とした。電車で30分くらいで行ける映画館は、すべて打ちきりか、不便な上映時間帯に押しやられていた。
失ひし恋の青い実得し恋の赤い実のなる「木菟の家」
と米川千嘉子氏が詠んだ小田原もすでに昼の上映は終了していた。白秋の童謡館の学芸員の人と話をしたばかりであったのに。だいぶ以前に見た『ボヘミアン・ラプソディ』はまだ上映を続けている。音楽家を扱った映画は世界的に人気だ。かつて文芸映画というジャンルがあったのだが、すっかり振り向かれなくなった。特に近代文学者への関心は、急速に遠退いている。そのうち、wowowで上映されるのを待つことにしよう。
結社誌1月号より大塚寅彦代表の作品「海の幸」
ふねの帆の膨らみやまぬ布袋腹はたきて父の笑みし元朝
テレヴィにて釣果跳ねをり恵比寿さま笑みし鯛より幾代の裔
かむかぜの伊勢のあはびの片思ひあはでこの生を過ぐしてよとや
華美きそふがに南海の魚群れて単色の肌に人はあらそふ
水母とはそもわたなかのUFOか交信のごと上下なしつつ
新春号らしく1首目は、先ずおめでたい雰囲気で始まる。「帆の」の「の」は、古歌によく表れる比喩を表す助詞。七福神の乗る宝船とイメージがつながり、布袋と縁語になっているようだ。また「ふねの帆のふくらみやまぬ」までが布袋腹の序詞である。布袋腹のメタボが許されたのも、父の時代までであった。
2首目、「テレヴィ」の表記のレトロな感じが面白い。1首目の七福神を受けて恵比寿さまが登場するが、釣果は釣番組の中のことであり、「海の幸」は自身の食卓からは遠い。
3首目の下の句は、いうまでもなく「難波潟短き葦のふしのまも」の上の句を持つ百人一首の伊勢の歌の本歌取りである。「磯の鮑の片思い」を少しずらし、元歌の作者名を入れたところなど、なかなか凝った作りになっている。弁財天はその名の示すように言葉の才に優れた女神であり、情熱的な恋の歌を多く詠んだ伊勢へと連想は繋がっているのかもしれない。
4首目は、初句の華やかな言葉の後の句跨りが、心にかかったまま下の句へと導かれる。下の句に主眼があると思うが、やや漠然としていて、むしろ上の句の強い調子が印象に残る。
おめでたい気分で始まった一連も、どこか宝船の絵を見ているようで、時や場面との隔絶感が残る。自己への認識も確信の得られぬまま、水母のように浮遊している。「海の幸」というタイトルは、青木繁の画題を思い浮かべるが、その素朴で力強い生命観とは、趣を異にしている。華やかな宝船の背後にそこはかとなく孤独感が漂う。古典的な技法を駆使した作品の底にある移ろいゆく感覚に心惹かれた。
次に淀美佑子氏の作品から
悪人とイコールでない罪人を極力想像しない真昼間
塗り分けた世界のすみに何色か誰も知らない赤鬼の涙
由来などわからぬままに排除する勇者は魔物を悪意を罪を
明るいほうにいつもいたいと思うほど向こうはこわいそしてかなしい
「排除します」と決然として言えるのは、敵と味方に塗り分けた人々の中の多数派に属している自信があってこそであろう。由来などわからぬままに分断して、少数派へのいじめは進行する。それを心から肯定していなくても、極力自分の頭から排除する。排除するのは、自分自身のなかにある疑問や共感や涙かもしれない。だが「向こうはこわいそしてかなしい」から、居場所を明るいほうに求めたい。排除される側に立ちたくない、と思うのは当然であるが、そのために先ず他を排除する。それは今を生きる誰の心にも巣食っている普遍的な心情といえよう。難しいテーマを、重くなり過ぎず、巧みに詠んでいると思った。
最後に『いにしえの恋歌』(著者 彭丹)2018年10月刊行の筑摩選書を紹介したい。
本書は、「和歌と漢詩の世界」という副題が付いていて、著者の彭丹氏は日中比較文学研究者で、現在は法政大学で研究生活を送っている。中部短歌に作品を発表していて、私たちの仲間でもある。
和歌は言うまでもなく漢詩(からうた)に対する言葉であり、その成立過程において多大な漢詩の影響を受けて来た。和歌の良し悪しは、最初、漢詩の評価基準を当てはめたため随分無理な論もあった。やがて国風文化として独自の発展を遂げるのだが、それでも漢文学からの恩恵は並々ならぬものがあった。
著者は儒学の影響の色濃い漢詩に女性の視点で分け入り、また和歌への深い理解を以ってそれぞれに通い合う恋の歌の普遍的な心情を解き明かしてゆく。
萬葉集の巻頭歌は、雄略天皇の若菜摘む乙女への呼びかけの歌である。それに対して著者は『詩経』の巻頭の詩「関睢(かんしょ)」も周の文王と若菜摘む乙女の恋歌から始まっていることを指摘する。
紀元前6世紀ごろに編まれた『詩経』と8世紀後半に編まれた『萬葉集』では、後者が『詩経』の影響を受けていると見ることは自然であろう。だが著者の態度は抑制的で、むしろ両者を結ぶのは、普遍的な春に向ける浪漫的な心情と説く。それが王によって詠われていることに意義を見出し、恋の歌の豊饒な世界が、統治者の子孫繁栄の思想にも合致したためではないかと自論を展開している。
このようにして、漢詩の該博な知識と和歌への深い愛情によって、この本は古歌を複層的に鑑賞する視点を通して、その魅力を深めている。日本で受容された漢詩は日本文学の一分野として溶け込んでいた。
以前 「始皇帝暗殺」という映画のなかで、荊軻が吟ずる
風蕭蕭として易水寒し、壮士一たび去りて復た還らず
は嫋々とした調べで、私たちに親しい武張った感じではなく、新鮮だった。漢詩もいつの間にか、遠い存在になりつつあるが、このような書を通して、その世界を身近に感じ、あわせて和歌の鑑賞をさらに深めていきたいと思った。