2020年3月1日(吉村実紀恵)

三月。新型コロナウイルスへの警戒がますます強まっている。せっかく天気も良いから梅見でも、と出かけた休日の上野の人出は、例年の半分以下の印象であった。この時期にこの界隈を歩くと、大学受験のために母と上京し、湯島天神を訪れた何十年も前のことが思い出されて懐かしい。

上野にはもうひとつ、湯島天神ほどの知名度はないが受験生に人気の合格祈願スポットがある。上野恩賜公園内にある「上野大仏」である。創建は江戸時代。元々は全長6メートルの釈迦如来像だったのだが、関東大震災の折に頭部が落下した。更に戦中の金属供出令により胴体部分も失われ、以後二度と再建されることはなかった。

今では「これ以上落ちない大仏」という意味で「合格大仏」と呼ばれるようになり、合格祈願に訪れる受験生が後を絶たないという。巨大な顔面レリーフの前には、往年の大仏像の写真が飾られている。受験戦争とはすっかり縁遠くなった今、大仏のたどった苦難の歴史に思いを馳せつつ、平和のシンボルとしてその穏やかな表情を拝みたいと思う。

結社誌二月号、大塚代表の十首詠より。

極冠の氷(ひ)を掴みたるフェニックス火星に凍てしのちを知らざり 
軍曹の若き父立ちフラッグを引き抜く夢を見せよつきかげ 

NASAの火星探査機フェニックスが、極冠に着陸したのは2008年。氷河を掘削し生命の痕跡を追うフェニックスの活動は5か月以上に及んだ。そして遂に太陽光の力を失って、交信は途絶えたのである。

遥かなる宇宙の凍土で、不死鳥は永遠の死を迎えたのだろうか。灰の中から何度も甦るというフェニックスの、凍てついた静かな姿を想った。その壮大な死のイメージが、上野の一角にある小さな丘の上で、顔面だけになって目を伏せている大仏の佇まいと重なって仕方なかった。

通り雨なりしかふいにしづもりて窓を見やれば夜と目が合ふ  蟹江香代
ひとときと思ひてソファーに目つむりぬ人間(ひと)のおもてを貼りつけしまま

さっきまでの雨音が消えて、静寂がおとずれる。作者はその静寂に夜を視る。「目が合ふ」のだから夜からの視線をも感じているのだ。作者の研ぎ澄まされた感覚は、科学万能主義にくもった現代人の目には到底見えない世界を見せてくれる。いや、ひょっとすると作者の本当の姿は野生のオオカミではないだろうか。日中は人間の面を付けている、美しい銀色のオオカミ。夜になると清らかな闇の底で静寂に身を浸しながら、二つの青い目が爛々と光るのである。

部長課長とかつて呼びたる人らなり苗字呼び合ひ山道を行く  井上 恒子

人生百年時代と言われる。定年後の人生をいかに生きるかという問いへの社会的な関心が高まっている。上昇志向のかたまりだった三十代の頃には意識することもなかった「定年後」も、アラフィフと呼ばれるようになった今それを視野に入れずにはおれなくなってきた。

定年後の趣味と健康づくりを兼ねて、登山を始める人も多い。掲出歌は仲間と山歩きに出かけた際の歌で、作者の夫とその元同僚を詠んだ歌と解釈した。かつてお互いの呼び名は部長、課長という社内での肩書きだった二人だが、今では苗字で呼び合いながら肩を並べて山道をゆく。会社というタテ社会の中で背負っていた役割や肩書きを失ったとき、それらを引き摺ることなく人生のセカンドステージへ移行できる人と、そうでない人がいるという。この歌を読む限り、登山を楽しむかつての企業戦士らは前者のようである。ただしその様子を見守る妻たちの方が一枚上手、という感じもするが。

地中化でスズメのベンチなくなる日すっきり空の雲詠めるかも  大藤 進

都心を歩いていると、空が広いと感じる時がある。銀座では早くから電線地中化が進み、電線、電話線など景観の妨げになるものは全て地下の共同溝に埋設された。ただし地中化は1986年から推進されているものの、工事の難しさと費用対効果の問題から、最も進んでいる中央区でさえ今のペースのままでは完全無電柱化までに200年はかかるという。

もっとも都心で感じる空の広さとは、里山と田園の上に拡がる田舎のそれとはまったく別物だ。変わりゆく街の景観は、その上に広がる空の表情にも変化をおよぼす。「すっきり空の雲詠めるかも」には一抹の寂しさがあり、スズメをとまらせていた電線のある風景への郷愁を感じる。

歌評(月2回更新)

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