2016年5月1日(長谷川と茂古)

今年の2月、よく利用していた本屋さんが閉店してしまった。つくば市では有名な友朋堂書店だ。書店員も素晴らしく、聞けばすぐ答えてくれる。長く勤めていた人は二人いたはず。今はどうされているのだろう。思想書の棚がとても充実していたし、岩波文庫やブックレット、みすず書房、といったあたりを置いてあるのも地方では珍しかった。雑誌「國分学」でも、うまくセレクトしてあったし、何より短歌研究、歌壇、角川短歌、があるのがよかった。

ふらっと行っていろんな棚をみる楽しみがあった。先日、角川短歌を探して、ショッピングモールの書店に行ったが、短歌関係の雑誌は皆無。新聞などの書評欄に掲載されたものや、ベストセラーが平積みの本ばかり。そんなものは、アマゾンか図書館で足りる。それよりも、書店に勤めるほどの本好きが選ぶラインナップをながめたい。知らない本との出会いの場が欲しい。と、文句からはじまってしまったが、歌評へ。結社誌4月号から。

グラニュー糖まぶしたようで車形ケーキが並ぶ氷点下の朝    大橋美知子

うっすらと雪化粧した景色を詠んだ歌。「グラニュー糖」というよりは、粉糖のほうが、合っているような気がする。屋根やボンネットに雪が少し積もった様子を、ケーキのようだと表現。なかなか大きいケーキだと思うが、あるいはマンションの高いからみるとちょうどいい感じかもしれない。車がケーキくらいの大きさにみえるところからの俯瞰図。雪を砂糖にたとえるのはよくあるが、「車形ケーキ」に印象が残る。

仄かなるタワーの灯りに目守られて扉くりたり jazz inn LOVELY  安部 淑子
ブルースの尽きぬアドリブ渦なして珈琲色の夜に溶けゆく       同

LOVELYは名古屋にある有名なジャズ喫茶。いまは、ジャズ喫茶とは言わなくてライブハウスか。筆者は1980年代に何度か行ったことがある。「仄かなるタワーの灯り」で、テレビ塔の近くにあることが分かる。どんなライブになるのか、異空間へ誘う一首目として、いいと思った。好い音楽を聞いているときの軽い酩酊感とか、groove感を言葉にするとどうなるか。二首目にある「渦なして」は成功していると思う。「珈琲色の夜」の甘さも、まあ、溶けてゆくようだ。

広げしは部屋一ぱいの仕掛け品ふた冬越しの布と型紙    伊垣 末子
針を追う手より滑らし八十路ごと行方を捕え糸に括りぬ     同

家で針仕事をするのが当たり前だった頃、着物から座布団や掛け布団のカバーになったり、着なくなった服を別のものに仕立て替えていたものだ。加齢とともに目が疲れやすくなり、針仕事もつらいが、気に入った生地でコートを作ろうと思って準備してからふた冬を越してしまった作者。なんとか仕上げようと苦労している様子が詠われている。作品は分身のようなもの。作者が作ったコートには、いま八十路である作者の証や、ふた冬を越した時間なども縫い付けられているようだ。

総合誌は角川短歌5月号より。特集は「短歌と感覚」。嗅覚の項には、第一歌集『惑亂』を刊行された、堀田季何氏が執筆されている。<匂いの情報が、言語と関連する大脳新皮質を経由するより先に大脳辺縁系に伝わることもあって、他の五感よりも専用の語彙が少ない。情動反応に重要なのは「快適か否か」であり、言語表現に先立っているからである>とあり、読んでいて面白かった。未読の方は是非。

歌評、栗木京子氏の「歳月の折り目」よりひく。

行きゆくは心汚るることならず寒気に素心蝋梅香りて      栗木 京子
歳月の折り目に少しこぼれゐし砂かがやけり立春の朝
肉体はつひに平らにならざれば二月の闇に寝返りをうつ
水盤に散りて椿は溺れをり噂ばなしの出所(でどころ)知れず

蝋梅がいいなあと思いはじめたのは、中年を過ぎてくらいからだろうか。飴細工のような花びらは、冬の終わりが近い知らせでもある。季節が春からはじまり、夏の青年期、秋の熟年を過ぎてなお、透き通るような美しい花びらを持つ「素心蝋梅」は、確かに「心汚るることならず」と思わせる。二首目、「歳月」と「砂」は砂時計からくる連想だろう。「少しこぼれ」る砂は、うるう年で調整する時のようでもあり、よく考えられている歌。三首目は、ふと生じた結論「肉体はつひに平らになら」ないというのが面白い。噂ばなしの起点はどこか。たどってみると、意外なことがわかるかもしれない。椿がふぁさっと散って水面上に、てんでにばらばらになった様子が、噂ばなしのように散る。赤い椿なら、真っ赤なウソということか。

歌評(月2回更新)

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