2017年5月15日(神谷由希)

桜が終り、牡丹、芍薬、菖蒲と歌心を誘う花のシーズンが過ぎて、間もなく梅雨を迎える緑濃い頃になった。四月に続き、気候が不調で、これも温暖化の影響と危ぶむ声の多い中、世界情勢も不穏で、豊かさ、便利さを享受する一方、人間の心は、繰り返される歴史の悲劇から遠く、坩堝に入り込んでしまっているような気がする。それにしても続いていく日々、何を歌に託したらいいのだろうか。
 また、お目にかかったことはないが、長い闘病の後、二冊の歌集を遺して亡くなられたもりき萌さんに、この場を借りて哀悼の意を表したいと思う。

結社誌五月号より

賞味期限三・一一とある宮城産五個の牡蠣みな口をひらかず   大沢優子

度重なる天災に2011年3月11日の大津波は、現在人々の記憶から薄れかけようとしている。前日までの平和な生活を一瞬にして奪われ、家族を失ったばかりでなく、いまだに安住の地を得られぬ人たちが余りにも多いというのに。剰え孫子の代まで脅かす原発の被害まである。一連の作品の中、声を大にして叫ぶのでなく、<牡蠣のように沈黙している>と外国の諺にもいわれる牡蠣に譬喩を求めている。食用にと求められた牡蠣が、口をひらかなくては鮮度を疑う一大事であるが、作者ならではの深いアイロニーを持って詠まれた歌なのである。

小夜更けに独り占ふトランプのキングの眼より優しさ消ゆる   勝又祐三

時事詠、もしくは社会詠が意外なほど少なかった五月号の中、なかなか触れにくいトランプ政権に関わる連作の一首。上句の常套的ともいえる甘さは、冷静な観察者であるべき第三者の視点を弱くする結果となるが、下句の<優しさ消ゆる>の表現が、作者の感慨を文字通りやわらかに詠っている。

自らの声を愛せぬ少女期に終はりを告げる冴え冴えと春   福田睦美

春は始まりとともに別れ、あるいは終りの時でもある。少女期の傷つきやすく、感じやすい、また同時に不遜でもある感情を<自らの声を愛せぬ>と表現して、甘えがない。少女の春はたゆたう春でなく、訣別の春であろう。<冴え冴え>がきっちり歌をひきしめている。

すべき事老いても多しさやさやと揺れてひと日過ぎてゆくなり    平野昌子

日々は穏やかに見えてもさやさや>内から外から常に何かの風にふかれているようだ。若い時は繁忙に紛れていても、<老い>の現在はその風が日常を揺らすのが、心にも身にも感じられる。なだらかな美しい詠いぶりであるが、字足らずなのが残念なので<ひと日過ぎてゆくなり>の<ひと日>の後に<の>を補っては如何。

わしゃわしゃとゆれる木の葉と青い空なんだか海と小魚みたい   西田くろえ
紙ぶくろにぎりつぶしたその音はたき火の音にちょっと似ている   同

未完成のような感もあるが、見たまま、感じたままを率直に詠っていて、<わしゃわしゃ>というオノマトペと共に眼に止まった。風に嬲られる木々の枝葉と、その上の青い空が、近ごろ水族館でも見られるようになった魚群ボールの連想を生んだのだろうか。最近のこうした歌は、自然体に見えて思わぬ伏兵があることも多いが、素直に受け止めて読んだ。

続いて『歌壇』五月号より

特集<わからない歌の対処法>について触れてみたい。<わからない歌をめぐって>と題して内藤明氏は、冒頭『短歌』2015年4月号の、小池光氏の服部真理子氏の歌への批判を挙げている。問題の歌は

「水仙と盗聴 わたしが傾くとわたしを巡るわずかなる水」

で、小池氏は「全く手が出ない」と言い、「もう少し作者と読者の間に共有するものがあってほしい。作品が作者のものに止まっている限り、客観的に自立した作品の誕生は望めない。」と結んでいる。わからない歌とは何なのか。遡れば、かつて定家らの新たな技法を伴った新風は、禅宗の難解さに比せられて「達磨歌」と評され、下って抽象性が高く発想の飛躍をもつ葛原妙子は、「難解」と括られたとある。わからないとされた歌も、変容しながら時代を越えて受け入れられて行く。現代のわからない歌論議はかつてのものと同列だろうか。

大辻隆弘氏は同じ特集の中で、「高いレベルの読者を想定する」と題して、「初心者や歌が読めない人ばかり集まる歌会」を敬遠している、自分の歌を客観的に判断し、評価してもらうためには、短歌という詩型の本質を忘れない事「外界にふれる一瞬の心の動きを表現する」ことであり、高いレベルの読者を信頼することであると明言している。

大井学氏は

「あるゆふべ燭とり童雨雲のかなたに隠れ五月となりぬ」 与謝野晶子『夢之草』

これは晶子の自註があり、「ある夕方天上界の松明持ち」という明星の姿が雨雲に隠れもうその光は下界に届かない、地上は今や雨の降り続く梅雨となったのである」と。これを字註なしで、どれだけの人が完全に理解できるか。しかし、分かり難くてもなお伝えたいものが作者にある時、日常の表現や情報提供を拒んだところから詩としての飛躍が始まり、極限の言葉の凝縮が生まれるとしている。

以下わからない歌の例(歌人選)

とり落とす言葉もまた〇カロリー try it try it try it   瀬戸夏子
                    『かわいい海とかわいくない海end』
今朝亀が潰れていたり五丁目のセブンイレブン前の細道  染野太朗
朝焼けに遠いところでロキソニン一錠が落つ 今日がはじまる  同
痛いほど痣は綺麗だ 傘ぐらい人にあわせて差したらいいよ  櫛田有希
からっぽなかわりにいくらでも下げられる空想上の部位やしねこれ  吉岡太朗

歌評(月2回更新)

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