2020年5月1日(神谷由希)

藍々と五月の穂高雲をいづ   飯田蛇笏
 幟立ち峡中の景改まる     水原秋櫻子

桜も藤も慌ただしく終わり、一年中で一番爽やかな新緑の季節を迎えたが、今年はゴールデン・ウィークの行楽も何のその、コロナ菌なる見えざる禍に蹂躙されて、家に引きこもったまま、怯える他なくなってしまった。いよいよ締めつける行政のかけ声の下、人も車も商店のネオンもめっきり少なくなって、町々はシャッターを下ろし、貼り紙をし、死んだような佇まいを見せている。俗に「猫の仔いっぴきいない」という情景だが、多くの飲食店が閉まって残飯を求める野良猫たちはどうやって命を繋いでいるだろうか。疫病の蔓延や、大規模な天災がある度、人間の理智や文明がどんなに脆弱であるかを知らされて一時謙虚になるが、その傷に薄皮が張れば、忽ちその気持ちを忘れてしまう。自由に外出し、人に会って談笑する喜びを身に沁みて思うとともに、この国難に正面から立ち向かっている方々、何があっても美しさを失わない身辺の自然に、深く感謝している。

さて、総合誌「歌壇」五月号の特集<秘蔵っ子歌人三十二人競詠>に、本会の西田くろえさんの「つながっている」七首が掲載されている。平成16年生まれという際立った若さで、結社の全国大会でも可憐なセーラー服姿を瞥見している。秘蔵っ子に真に相応しいと感じて、以下七首を取り上げたい。

起立する同級生の群れ雨はまた一段と激しさを増す
10分の休み時間にエッセイを一篇読んで黙々テスト
教室にホームラン音(おと)鳴り響き理科の授業が一瞬止まる
リスニングテストで話す人々の全然楽しそうじゃないfun
<雨が降るパリ>とボカロの歌声がイヤホンだけでつながっている
相棒のノートパソコン虫の息バックアップを取るまで待って
銘銘が自分のしたいことをする私の家族静かな時間

自選の作品と思うが、身辺の事柄をういういしく素直な感覚で詠んでいる。この先、率直さ、素直さだけでは受け止めきれない事柄が身近に起こってくるときもあろうけれど、結社の若い生命力を大切に思う。

終りに担当者からエッセイ、評論など、短歌というジャンルにとらわれず自由に書いてよいと言われたので、少しジャンルを広げてみた。だいぶ前に『晶子とシャネル』山田登世子著(2006年刊行)に巡り合って、思いも寄らない両者の関りに驚かされ何か書いてみたい気持ちになった。最近映画にもなったシャネルに比して、与謝野晶子となると、その研究者はあまりに多く、到底私などの手におえるものではない。従ってごく単純に、両者の生き方の上で似通った点だけを拾い上げる形で纏めてみた。シャネルは<ウエストミンスター公爵夫人は三人もいるけれど、ココ・シャネルはひとりしかいない>という信条のもとに創造をつづけ、大衆の感性をいち早く身に着けてファッション界に革命をもたらした。一方晶子もまた、「私の歌は私自身の表現に終始していればそれでよいと思っています」と語っている。1883年生まれのシャネルは、父によって修道院の前に捨てられた孤児だった。これこそシャネルが一生隠し通した秘密である。既存のファッションリーダーである富裕層が、ベルエポックと呼ばれる時代、コルセットで固めた美しい衣装や宝石をみせびらかしていたのに比して、1909年パリ17区に帽子屋を開いたシャネルは、それまでのモードを一掃し、モダンエイジの服を作り上げた。男に媚びるのでなく、男に愛されるドレスを。男に伍し、男を追い抜き、パリを征服するまで一生働き続け、ホテルリッツの一室で87歳の生涯を孤独に閉じた。

一方、晶子は1878年、大阪は堺の商家に生れ、大切に育てられた。熱愛する鉄幹の女性関係に苦しみながら、筆一本で家計を支えた<はたらく女>である。その業績は誰も知るところであるが、奇しくも彼女がパリに鉄幹を追った1912年の二年前、1910年に、成功したシャネルはパリ1区に店を移している。大きな花飾りの帽子を好んだ晶子が、短いパリ滞在中、その店を覗いたかどうかはわからない。晶子とシャネル、ひとりはモード界で、ひとりは歌の世界で選び取ったものは<自分自身>であり、相聞という<恋>である。シャネルが言ったように、<男に愛されない女は女じゃない>、晶子も現実の生活の波に洗われながら、常に生々しいとも思われる恋を詠んでいる。

道を云はず後を思はず名を問はずここに戀ひ戀ふ君と我と見る
せつなかる愛慾おぼゆ手に触れしおのれの髪のやはらかさより
口びるを吸ひに来る時男こそ蛇体をなして空翔るなれ

同じ時代を、パリの空の下で一瞬交錯し、また遠く離れ生きた二人は、まさに著者山田氏のいう「魂の姉妹」と呼べるのだろう。
まだまだ知りたいことは多い。拙い筆でなかなか描写しきれないが、海を隔てて二人がなし得た偉業のほんの少しでも伝えることができたらと思う。

歌評(月2回更新)

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