2013年3月1日(川野睦弘)

今回から歌評を担当する川野です。

ふつう通り、ひとり一首ずつ取り上げるやり方でいこうとも思いましたが、HPでしか出来ないことを・・・というわけで、今年二月号の十首詠を一連まるごと批評することにしました。中畑智江(なかはたともえ)さんの十首一連が対象です。

駄洒落をいう人と向かいて夏寒し節電できると思いて過ごす
尾張の地踏めば敵地の心地する三河人なるわれの足裏
「東山線で行くべし」名城線飛び乗りしのち思い出したり
翼なき飛行機のよう地下鉄は地下より地下へまっすぐ走る
解らないところを動き廻るのはだめだよ地下も地上も歌も
同じ駅同じ時刻に同じカフェ入りて日替わりパスタを選ぶ
テーブルに弱き灯が照り返しここはいつでも秋の匂いす
イカスミでなくて良かりき前方に微笑む口を見てしまいたり
食後にと注文(たの)みし珈琲 パスタより先に届きて黒を揺らせり
風通わぬシャッター街の片隅に鬱蒼とある秋の新作

一首目。全然笑えない洒落やギャグをさして<寒い>と言い始めたのは何時(いつ)からだろうか。<寒い>という表現は、洒落やギャグそのものより、発する側―受けとめる側の関係を測るためにあるようだ。読める―読めない云々のあの<空気>は地球の気候以上に変動しやすく、われわれの予断を許さない。出来ることと言えば<節電できる>と前向きに考えるか<駄洒落をいう人>を避(さ)けて日々を過すか、くらいなものだろう。

二首目。遠江(とおとうみ)に暮らすぼくとしては、こういう三河人意識はちょっと不可解だ。<敵地>という表現もオーヴァーだと思うし。しかし刈谷(かりや)と大府(おおぶ)の間を流れる境(さかい)川の、あの荒涼とした風景を思いうかべると(あそこが三河と尾張の国(くに)境(ざかい)だった)、現在も、かすかながら同郷/対郷意識が愛知県民のなかに残っているのだろうと考えてしまう。

三首目。わからない方はパソコンやケータイで調べてください。目的地を栄(さかえ)と仮定すれば、金山駅でJRから地下鉄名城線に乗りかえたものの、JR名古屋駅で東山線に乗りかえた方が近いことに途中で気づいたのです。

四首目。地下鉄は時速三十キロ台で走行しているはずなので、速く走っていると思うのは気のせいにすぎない。鳥人間コンテストの人の飛行機ならわからないでも無いが・・・。

五首目。結句は歌人らしい回収のしかた。しかしそうかと言ってじっとしても埒があかないのはよくあることで・・・。

六首目。<カフェ>は栄のオアシス21近辺あるいは地下鉄からあがってすぐの店か。志段味(しだみ)歌会は毎年二回、同じ場所同じ時刻で行われるので、ひょっとしたらこっちのことかもしれない(ちなみに、地下鉄へはJR名古屋駅から東山線でまっすぐ行ける。金山駅からだと、途中栄駅で乗りかえなければならない)。

七首目。一連でこれが一番いいと思う。上句のさりげない描写が結句の喩を引き出した。

八首目。連れが居たので無く、前方の別のテーブルについていた客の口もとを見てしまったわけだ。お歯黒を回避できてよかった。

九首目。二句目はふつうに仮名書き(たのみし)でいいと思う、下句は、気を利かせたはずの結句がいまひとつという感じがする。<黒を揺らす>だと飲む側の行動に係ってくるので、それを活かすなら四句目は<先に届きし(「し」に傍点)>がいいだろう。あるいは、下句を<先に届きしブラック眺む(「眺む」に傍点)(見詰む・を見る)>か<ブラック揺れる>にしてみては如何。

十首目。こないだ行ってきた蒲郡の光景が思いうかぶ。<秋の新作>は洋装か。三句目は<片隅>より<一画>の方がいいと思う。

 

総合誌二誌の二月号からも何首かピックアップしようと。まずは角川「短歌」から。

わたくしが独裁者ならムの音に「夢」を当てはめるのを禁止する    松木 秀

種ありし記憶わずかに残したる種無しぶどうの空間あわれ        同

堕天使を急速冷凍して砕く きっとシャーベットとして美味(うま)い  同

一首目は「無」を想起させるから「夢」をムを読ませるのを禁止するってことだろうか。 二首目は、あの種無し葡萄の果肉にのこる種のなごりみたいなのが思い出される。三首目は村木道彦の歌<アイスクリーム断ちという刑>への返しと受け取った。一連のテーマは無か。

そして「短歌研究」から。

ホラー作家のエッセイ数篇読了す素直な筆致に心ひかれて       清水房雄

下句がそのまま批評になっている。若わかしい好奇心をお持ちの方だ。

夜半に起き硬直したる脹脛(ふくらはぎ)を揉みをり遺影の妻が見下ろす 田中子之吉

直後のうたに<この三年に妻と娘と逝かしめて>とある。上句の体感と下句の光景が対照的で、そこからリアリティが生れる。

歌評(月2回更新)

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