2020年6月1日(川野睦弘)

2020年5月号紅玉集および作品Ⅲ欄から…

勝手口に今年も出会う沢蟹のカサコソ過(よぎ)り春の訪れ 金沢節子

岩村在の会員の詠草3首目である。沢蟹は水のきれいなところに棲息するので、作者の住まいも清らかな環境のなかにあろう。4句目のオノマトペ〈カサコソ〉は、沢蟹のみならず結句の〈春の訪れ〉にも係る。オノマトペといえば、同詠草4首目〈寒のもどり開きはじめし紅梅に春の雪ふわりふわあと降りぬ〉の下句がおもしろい。誤記もしくはミスプリントの可能性も無くは無い。

大正のスペイン風邪とふパンデミック「おっかなかった」祖母の語り種 清宮純子

つづく詠草2首目は歌う。〈令和二年コロナウイルスとふはやりやみ「おっかないよ」空の祖母につぶやく〉←3句目傍点あり。今般の新型コロナウィルスの流行については、約百年まえの所謂スペイン・インフルエンザに匹敵するのでは無いかとあやぶむ声が多い。時の皇太子迪宮裕仁親王(昭和天皇)も罹患した流行性感冒を〈私〉は祖母の昔語りによって記憶している。〈はやりやみ〉〈おっかない〉という言葉がいい。

障子破る猫の爪跡ウィルスの爪跡日々に広ごる脅威 荒井陽子

歌は世につれというが、このごろの中部短歌一誌をとっても、新型コロナ関聯の詠草が多く載っている。そんななかに、上掲出歌もある。飼猫の、たぶん修復可能な爪跡と、ウィルスのスパイクによる非情な爪跡とを同列にあつかい、結句〈脅威〉と感ずる。マジかシャレか。筆者はおもいあぐねるまま、つぎに移る。

亡き夫よ高校野球中止とぞあなた観ていし春の選抜 荒田陽子

いまは亡き夫のおもいでが詠草1、2首目につづられる。〈忘れない四十一年前のこと名前呼ばれし終なるときを〉〈病室のテレビ観戦楽しげに夫は高校野球愛せし〉上掲出歌〈亡き夫よ〉は、それらにつづく。3首によってディテールを得た〈私〉の切ないおもいが、読む側の心のなかに強くきざまれる。日本高等学校野球連盟のホームページにおいて、選抜高等学校野球大会の開催中止が広報せられたその日附は、3月11日である。

折れ曲がるりんごの樹々に藁束が泥まみれの実と共に垂れおり 杉森知子

作者は名古屋在住である。去年の台風19号による被害の報道をもとにした詠草とおぼしいが、目のあたりにするようなリアルさである。上掲出歌は一連1首目にあたるが、4首目〈泥かきにりんご園へと娘(こ)は行けり弱りしみみず掘り出ださんと〉は、みみずのおかげでヴォランティアが殊更めかず、このもしい。

心音に押されて吟詠コンクール拍手貰いてこころ冬晴れ 牧野雅子

詠草1首目によれば初挑戦の由である。上掲出歌をはさむ1、3首目が吟題を告げる。すなわち〈天つ風〉百人一首12番歌である。交感神経から分泌せられるノルアドレナリンは、本番まえの〈私〉にやる気と集中力をもたらす。上句の〈心音に押されて〉という表現がいい。

コヒガンは長野・岡山・愛知経てこの地に根づくよくぞ生きける 冬木裕子

筆者は初句を一読アビガンと取りちがえた。バラ科サクラ属の植物と、SARS-CoV2の増殖を抑止する抗インフルエンザウィルス剤とのけじめがつかなくなるとは、よほど昨今の報道に心をうばわれているのであろう。4句目にいう〈この地〉が作者の住む瀬戸市であるならば、3句目〈愛知経て〉は要らないとおもう。

ことしは、コロナに明けて暮れる1年となるにちがい無い。悲観と楽観とを心の秤にかけながら、日々をすごしている。

緊急事態宣言発出後、日本の青空がきれいで、星空もあざやかに見えたことは、ぼくにとって嬉しい出来事である。不自由を強いられ、不如意に苦しみなやむ方がたが多く居られるのを承知のうえで、あえて言う。むさぼらず、つつましい国になっては如何と。

歌評(月2回更新)

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