2012年6月15日(吉田光子)

日ごとに木々のみどりが重たげになり、呼吸もブラウスもみどり色に染まりそう。紫陽花も藍色を深めている。

まず結社誌「短歌」五月号より

米を研ぐように活字を掻きまわす頭の中に水が足りない 青木 久子

仕事の緊迫感が、言葉のあいだから溢れてくるようだ。「頭の中に水が足りない」という作者。けれど、そのことにさえいきいきとした作者の息づかいが感じられる。上句の直喩、そして、下句の断定が、社会の第一線で活躍する作者のすがたを眩しく伝えてくれている。

「愛なんて」娘は言いながらバーガーの中よりひょいとピクルスを食む 太田 典子

「愛は甘いだけじゃない。ピクルスのような酸っぱさだってあるのよ。」と、娘さんは言いたかったのだろうか。無邪気な愛をまっすぐに語る季節を、人はあっという間に通り過ぎてしまう。でも、ある日またそんな時間にぽとりと落ち、心ときめかせて開けるドアを、神は用意してくれているかもしれない。娘さんを見つめる作者の眼差しに、母としてのそんな思いが滲んでいるように思われた。

星あかり届かぬ夢の亡骸はペルケゴージの襞に眠らせ 清水 美織

ペルゴレージは、26歳で夭折したイタリアの作曲家。聖母マリアの悲しみを歌った「スターバト・マーテル」にみられるような透明感に満ちた旋律で知られる。大切な夢は、誰にも言えぬまま透き通るような音楽の襞にそっと眠らせておこう、たとえ、亡骸となった夢であってもと詠む作者。胸ふかく染み入る一首である。

次に、『短歌研究』六月号より

国立の天文台と地つづきの『パン屋のパンセ』のJe(ジュ)と鳴くこころ 今野 寿美

作者のご子息は、天文台通りを過ぎたあたりでひとり暮らしを始められたらしい。子の自立を温かく見守りながらも、少しばかり心もとなくも思われているのであろうか。母親の気遣いがほの見える気がする。杉崎恒夫の歌集『パン屋のパンセ』に、〈わが胸にぶつかりざまにJe(ジュ)とないた蝉はだれかのたましいかしら〉がある。「Je」は、フランス語の一人称代名詞。はかなげで愛らしいオーラを醸し出す。また、杉崎氏は長く国立天文台に勤められたので、歌集名が無理なく導きだされ詠み込まれているといえよう。ふたつの歌の世界が交差し響きあって、洗練された波長を発しているように思う。

ほつほつと天をさすとも白木蓮(もくれん)の莟枝ごとに僅かかたむく 松山 慎一

観察の細やかさに脱帽。自然界の摂理の不思議さ、素晴しさを思わずにはいられない。かすかに角度を違えて天を指す白い木蓮の莟は、静謐な祈りを思わせて美しい。視線の大切さを改めて教えてくれる叙景歌といえよう。

歌評(月2回更新)

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