2014年12月15日(長谷川径子)
柊に小さな白花が咲いた。はやくも初雪が降り、大雪になった地方もある。
12月、街にはLEDの青いイルミネーションが灯された。ノーベル賞のひかりだ。
[中部短歌12月号より]
潮は息たつるがに見ゆ少し退き稍(やや)盛り上がり海鳥を抱く
佐野 美恵
いつの日か羽搏き止みて地に堕つる鳥ならば胸に風飼ひをらむ
吉田 光子
陽の匂ひしてゐるならむと目にたのし木製ベンチ 空をゆく鳥
杉本 容子
陽に照れる池のほとりに鳩の二羽たどたどしくも歩を合はしゐつ
蟹江 香代
4首ともに、冬の鳥を歌っている。文語、旧かなの落ち着いた歌だ。文語、旧かなを駆使することが今の時代困難な状況となっているが、中部短歌の結社に所属し、端正なこういう歌に接することができるシアワセを感じる。
女人なる深井のおもて汲みがたき悲のみづ想へば秋闌け(た)にけり
大塚 寅彦
一輪のゆりを額に押し当ててサロメ舞へるlunaticならむ
雲嶋 聆
雪解風雪女の妻の身とは知れその身が溶けしさびしさの果て
鷺沢 朱理
この3首にみる、女人の妖しさに惹かれる。能樂、あるいはシェークスピア戯曲のごとき古典から引き継がれる美意識、そして、文語調の短歌の調べ、現代短歌が口語調になり、平板になり、軽やかになりと変遷をしているさなかのこの重厚さは魅力的だ。
蟹江香代氏、雲島 聆氏、鷺沢朱理氏はまだ20代30代の若さである。
歌集[風のむすびめ] より
紀水章生
楡の木は夢をみてゐたまどろみにゆふべ蒔かれた春のうたごゑ
おぼろげな夢を見てゐるやうでした山のむかしを語る郭公
わたくしはここにをります手をのべて鈴掛の樹が空にささやく
栗の木に風のちからの満ちてきてむかしばなしのみづぎはとなる