2018年7月1日(大沢優子)
例年より早く梅雨が明け、暑い日が続いている。青紫の朝顔の表紙が涼し気な結社誌6月号より、大塚代表の歌。
俎板のふたまた大根身をよぢり物の怪となるまへを断たれつ 大塚寅彦
飲食、食材にかかわる歌は、作者の得意分野のひとつ。ふたまた大根からはあらぬ方へと妄想が広がりそうなのだが、「断たれつ」の一語によって、ただの大根に戻る。「断ちたり」では、つまらない。「断たれつ」の幕引きが、清潔な印象を残す。
しろがねのひとつひとつが海(わた)なかを見て来し餐のじやこの眼を食む 同
「餐」は、文字の組成からわかるように、夕食の意味であるのだが、つい晩餐会を連想してしまうので、じゃこの乗る夕食のイメージを引きあげている。「夕餉」という言葉を選ばなかったところに、技巧の冴えを見ることができる。「餐」は、「惨」であり「燦」でもあろうか。
<尤(いう)>といふ文字想はせてうしろあし浮きをり非常口のひとがた 同
非常口のデザインは、もちろん人を形象化したものだが、<尤>という文字を提示されると、いかにもと思う。私はこの漢字の読みは「もっとも」だけしか知らなかったのだが。漢和辞書によると、「手の先端に一線を付し、異変としてとがめるの意味を示す指事文字」とあり、非常口の標識と異変とのつながりに無理がない。漢字の字解きの歌は、時折見かけるが、この歌は「うしろあし浮きをり」がリアルで、楽しい。
5月23日から6月24日まで名古屋の「文化のみち二葉館」で稲葉京子展が開かれた。
6月3日(日)には、「稲葉京子を語るー存在を問う詩空間」と題するトークイベントも実施され、古谷智子、黒瀬珂瀾、大塚寅彦のパネリスト各氏が、稲葉京子の歌業を三期に分けて、充実した鼎談がなされた。二階への階段にも座る人が出る程の大盛況であった。今も稲葉短歌に心惹かれる人が多いのは嬉しい事である。
最近私は稲葉先生の初期の一首が気になっている。
まなうらに常さびしめり縊れたる妹の四肢太かりしこと 稲葉京子
昭和33年9月の「短歌研究」誌上に発表された歌だが、歌集には未収録の一首である。実生活において、稲葉先生に妹はいない。フィクションの歌である。シンポジウムでも、稲葉先生の歌は、現実を少し拡大して詠まれている、との指摘があった。その後、この歌が歌集に収録されることがなかったのは、昨今の家族に関する偽りの歌にもあるような、家族状況を偽ることへの懼れのあってのことだろうか?ただ、稲葉先生の作品のなかに一貫して流れている、家族への暖かい感情を思うと、この歌にある「家族殺し」は特異である。若い一時期、温かい家族故にその「死」を経なければ、達成されなかった自立への希求があったのではないかと思われてならない。
昭和33年は、寺山修司の第一歌集『空には本』が出版された年である。寺山とはほぼ同じ世代であり、また彼からは大きな励ましを受けている。家族に関するフィクションについても影響をうけたものと推測される。
一方で、シンポジウムでも取り上げられた次の歌、
春嵐つのればさびしわれよりも若き腕のうちにめざめぬ
『ガラスの檻』のなかの、瑞々しい相聞歌であるが、フィクションの歌と、本人が語ったという。初期の様々な試みのなかで、寺山の歌にある青春性と背徳性の二つの面に影響されながら、自らの資質に最もかなった抒情の方向性を見いだしていったものと考えるのである。