2020年8月15日(長谷川と茂古)

先月、岡井隆氏の訃報を聞いて、一度だけ参加した歌会で拙歌に評をいただいたときのことを思い出した。あれは神楽坂の会場だったろうか。超結社の集まりで、椅子が足りないくらいの参加者。岡井氏の人気ぶりを目の当たりにした時でもあった。直に聞いたその声は、色気があるなあと思った。

ヘイ 龍(ドラゴン) カム・ヒアといふ声がするまつ暗だぜつていふ声が添ふ  『宮殿』

初句の一撃。いったいこの初句をほかの誰が詠むだろう。 「ヘイ ドラゴン カム・ヒア」「真っ暗だぜ」という声を聞いている主体がいる。この主体は龍かもしれない。そういえば、岡井氏の視線は時折鋭く、八方睨みの龍みたいだなと感じたことがあった。澁澤龍彦と同い年だったと思うが、辰年かもしれぬ。まあ、関係ないけれど。色気のある声と鋭い眼光を記憶にとどめておきたい。ご冥福を心よりお祈りします。

さて、結社誌八月号から。

めづらしく籐椅子にかけ昼過ぎの庭を見てをり小糠雨降る     大久保久子
こんもりと隙間なく咲く紫陽花は色変へゆくか薄むらさきに
渡したき蝸虫ひとつ探せども捕れざるままに手袋を置く
ひたすらに咲くあぢさゐを数へつつ天涯孤独と言ひし人思(も)ふ
惑ふべき齢ならねど昨日今日友の訃報を身に沁みて聞く
避雷針の役担ひゐてやや高き屋根にゆつたり風見鶏立つ
月影にやまぼふし白く浮き立ちて心に明かり灯しくれたり

とても良い連作だったので、すべて書いてみた。題は「紫陽花」。お昼ご飯を終え、片付けも一段落したちょっとした空き時間。縁側においてある椅子だろうか、腰をおろして庭を眺めている。小雨を受けて咲きそろった今年の紫陽花。ひょっと、でで虫が紫陽花の葉から落ちたのか、拾って渡してやろうと手袋をして庭に出る。でで虫は手の届かないところにいて、捕まえることはできなかった。近くで見る紫陽花たち。いくつ咲いているのか、数えているとふっとある人のことが浮かんだ。その人は「天涯孤独なのよ」といったことがあった。息災でいらっしゃるだろうか。昨日も今日も友人の訃報を聞いたけれど。かつて共に過ごした時間もいまは遠い昔。なんとなく沈みがちな気分で夕暮れも過ぎ、屋根の上にある風見鶏をみる。空には月が浮かんでいた。明るい昼間は紫陽花の変化してゆく色を楽しんだが、夜となると月の光を浴びたヤマボウシの乳白色の花が際立ってくる。花それぞれの楽しみがある。一日の終わり、そして新しい一日が数時間後には明けてくる。とても雰囲気のある連作。作者の心に寄り添うような感覚で読んだ。紫陽花やあヤマボウシなどありふれた題材ではあるが、蝸虫や風見鶏を登場させて独自の景を描いている。

ここ数年、中国の歴史ドラマばかりみている。最初は『宮廷女官若㬢』。現代の女性が清朝時代にタイムスリップをして、女官となり皇子たちの争いに巻き込まれてゆく、というストーリー。衣装や装飾品がとても美しく楽しみのひとつだった。北魏、北周の将軍であった独弧信の三人の姉妹を描いた『独弧伽羅』も史実に沿った話で面白かった。長女は北周の皇后、七女は隋を建国した初代皇帝の皇后、四女は唐の初代皇帝李淵の母となる。なんともすごい姉妹、一族ではないか。このドラマに登場する宇文護という人物は鮮卑系の騎馬民族出身だからか(トルコ系とも)、片目が光の反射によって青くなるよう描かれていた。漢民族と混じっていく頃という時代背景も興味深くみたものだ。いまは、『長安二十四時』と『大明皇妃』が面白い。製作費が100億円というのだから、なんとも豪華である。衣装や皇宮などの美術に目が奪われるが、演じる役者もそれぞれに見ていて楽しい。役者といえば、『武則天』のファン・ビンビンは女優として絶好調のときだったのではないだろうか。李世民の後宮に入ったのち、次の皇帝をも魅了した則天武后の役はファン・ビンビンしか考えられない。自信にみちた表情は、強いキャラクターにぴったりだった。大きな目からこぼれる涙も、花一輪口にくわえて馬に乗る姿も、男装であっても、映像の彼女は本当に輝いていた。脱税スキャンダルで、行方が分からなくなったりしたが、復帰したのだろうか。

歌評(月2回更新)

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