2012年11月15日(長谷川と茂古)

10月28日、創立九十周年記念全国大会が無事に終わった。午前中は、楽しみにしていた尾崎左永子氏の講演。中井英夫ファンとしては、歌人尾崎左永子、というより『虚無への供物』に登場する奈々村久生のモデル、という印象が強い。昭和30年代はじめ、春日井建が歌壇に登場した頃の、中井英夫を通じての交友関係については「別冊幻想文学 中井英夫スペシャルⅡ」に掲載された「奈々村久生の回想 尾崎左永子インタビュー」に詳しい。講演後、体調のこともあってか、すぐに帰られたのだが、実は伺ってみたいことがあった。中井英夫から、「頼むから、結社なんてバカなものを作らないでくれ」と言われた事を、遺言だと思っている、と仰っていた(1992年)のに、「星座」を創られたのは、なぜ?、と。すると偶々、講演のなかで尾崎氏は、「「星座」は、結社じゃないのよ」ときっぱり言われたのである。その所以については特に言及されなかったが、中井氏の遺言を守っておられるのだなあ、と筆者は感じ入った。さて、歌評は結社誌11月号から。

議事堂のうちら広がる左右翼(さうよく)はそも翔ばぬ鳥さへづり満てど  大塚寅彦

結句の「さへづり満てど」には、大いに共感する。領土問題にしても、復興予算の流用にしても責任者はおらず(いるはずなのだが)、国としての在り方に希望が見出せない。それでも、一民草として選挙に必ず参加しては、いる。「そも翔ばぬ鳥」であったではないか、と言われれば、そうかもしれぬ。翼もちゃんとあって、たいそう囀りもするが、オレたち翔ばねえんだぜ、ワイルドだろう?といったところか。参っちゃうよねえ。

鬱の字のごとくみつしり押し合ひてちりめん山椒の魚の目絡む     吉田光子

小魚の目を題材にした歌というのはよくみかける。しらす干しの、白いなかに黒い瞳(というのか?)もどうかと思うが、佃煮になった目というのも、ひとたび気になると何とも言えぬ感じとなる。眼目は「鬱」という字。効果的に使われていて、巧い。作者は今年度、結社の「短歌賞」を受賞。ますますの活躍が期待される。

本売るは過去を静かに葬りて新しき道の前に立つこと         海野灯星

本は増える。置く場所があればそのままにしておけるのだが、そうもいかない。増えると売って、また新しく買い漁るということを繰り返してしまう。売ったあとは、本棚も床もすっきりして、まさに「新しき道の前に立つ」ような感覚になる。これから、新しい本との出会いがたくさん待っていると思うとヨロコビに打ち震える。

スイッチを押して生まるるそよ風のやさしき嘘に眠りてゆかむ    近藤寿美子

なるほど、機械が作りだすから「嘘」の「そよ風」。エアコンの名前も〈霧ヶ峰〉、〈大清快〉、〈うるるとさらら〉といったように、そろって爽やかさや、清らかさを強調する。「スイッチ」という無機的なものを初句に持ってきながらも、やわらかく詠えるのは、この作者ならでは。

四十六年いつしか過ぎし短歌(うた)の道学びし歌友(とも)ゐぬ一人残りて  林すみ子

中部短歌に在籍されて四十六年ということだろうか。共に学んで来られた歌友の方たちは今はなく、一人残った。結社の移り変わりを見てこられ、歌友たちと論を交わすこともあったに違いない。その歩みはしっかりと結社誌に刻まれている。入会して17年の筆者からすれば、46年の重みははかり知れない。

総合誌は「短歌往来」11月号から。

何となくほほゑみ交す男女を前に電車にをれば松の香ぞする   小見山輝

「秋風動禾黍」より。この歌の前に「松原に風吹き荒るる真つ昼間を木蔭にかがむ我の不機嫌」という歌があるから、松原を歩いたときの、その松の香がふと立ち上ったのかもしれない。が、「男女」と「松」とくれば、「松の木小唄」を連想する。

蕎麦屋にて冷酒のむときほほゑみの杉浦日向子降臨したり    梅内美華子

「目玉焼星雲」より。漫画家で江戸風俗研究家でもあった杉浦日向子が、亡くなって7年。無類の蕎麦好き。彼女の微笑は、どこか泣き顔のようにも見えた。蕎麦と冷酒で、杉浦日向子を思い出す作者。「降臨したり」が面白い。隠居するには早すぎた。

歌評(月2回更新)

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