2015年12月15日(大沢優子)

しばらく前まで、上田敏の『海潮音』は多くの人に親しい詩の世界だった。「山のあなた」は落語にも取り入れられるほど、人口に膾炙していたが、今の若者に広く読まれているように思えないのは残念なことだ。江戸時代に囚人服の色であった水浅黄色がロマンチックな色合いを持つようになったのは、「みそらのいろのみづあさぎ」のやさしい調べの影響が大といえよう。今も短歌のなかにしばしば登場する人気の色である。

さる11月29日第9回明星研究会が「秋の日のヴィオロンの~翻訳詩、あたらしき言葉の輝き」をテーマに開かれ、日本の近代精神が詩の翻訳によって育てられてきたことを改めて学んだ。

 

結社誌12月号より

上野介(かうづけ)殿の悪口(あくこう)ここでは慎むべし塩田稲田を拓きし偉人    村井佐枝子

12月は『忠臣蔵』討ち入りの季節である。芝居の中では、憎々しい吉良上野介も、実際は領民思いの名君だったと、地元では伝えられているらしい。典型的な悪人とみなされる人物に別の評価があることは、人間として当然であろう。この歌は、視覚的には漢字が多すぎるように思うが、一読すると上の句のK音の響き、下の句のリズムの良さにひかれ、読みあげやすい歌である。また一首の中に情報が十分に詠みこまれている。

宛名書き笑いかわせみ鳴きうさぎ相続放棄の封筒に貼る    大澤澄子

ワライカワセミのデザインは、2006年、日豪交流記念に発行された80円の特殊切手らしい。併せてナキウサギの2円切手を貼り、投函したという。掛詞の技巧を通して、相続にまつわる気持の重さや、急に見え始める親族の滑稽さを描き秀逸である。下の句が淡々と詠まれているのが効果的と思う。

いちじくの蔕より乳の零れゆく欲とは果てなき旅のごとしも    伊神華子

いちじくより滴る乳のような樹液の歌は枚挙に暇がないが、欲望への転調に作者独自の視点がある。乳が滴るような、母性のもつ聖化された所有欲を思う。いちじくの栽培の長い歴史と、はるばるメソポタミアからもたらされた歴程を考えると、「長い旅」に説得力が生れる。

祭り終へ武将を乗せし山車の骨軽四トラック唸りて過ぎぬ   日比野和美

壮麗な名古屋祭りが終わり解体された山車が運ばれていく。祭りの後の寂しさは馴染深いものだが、この歌の呆気なさには湿り気はない。祭りの規模が大きくなり過ぎると、かえって地域のひとの心から熱が薄れてゆくのだろう。「山車の骨」を乗せている、と重ねて言わず、投げ出したような語調が乱暴だが面白い。

 

「現代短歌新聞 12月号」より

明星研究会の中心メンバーである松平盟子氏と内藤明氏の作品13首が、「現代の作家」欄にならんで掲載されている。

眠りより苦しく沖へ這い寄ればテレビはパリのテロ映しおり    松平盟子
テロリストのかなしき心知る啄木、一〇〇年を経てパリに自爆死    同
ユーロ硬貨つかって彼らもパンと水買ったのだろうテロのその朝    同

パリのテロ報道を見ながら、作者は「ココアのひと匙」を書いた100年前の啄木を思い浮かべる。そして今パリのテロリストが、ユーロ圏への抗議を目指しながら、日常生活は、当人が意識せぬほど、ユーロ社会の支配のなかで生きてきたことを詠い、社会への切り込みに手触り感がある。

動かざる時間のやうに浮かぶ鴨父母未生以前の水面なるべし    内藤 明
白きもの秋の梢に置かるると近づき見れば狂へる桜         同
交差路を曲る戦車のキャタピラに視線の先は轢かれてゆきぬ     同

淡々とした詠風のなかに、禅問答の「父母未生以前」を引き、漱石にもつながる一首目。季節の巡りに背く桜に「狂」のこころを重ねる。また街中で見かけたキャタピラに破壊されていく街を看取する。時間や空間を詠いつつ自由に行き交う、というのではなく、自己抑制の中から生まれる静かな視線が深い襞を感じさせ魅力的だ。

歌評(月2回更新)

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