2016年4月1・15日(吉村実紀恵)

まずは、結社誌「短歌」4月号から。

さかしまの疑問符なせる傘の柄は行方の知れぬ持ち主を待つ   川田 茂
空席を目立たせ列車は駅に着く潮の香ながるる昼二分すぎ    同

目の前の事象をトリガーにして、そこにいない人や別の物事に思いを馳せることは、詩の手法として特に目新しいものではない。ましてや、電車の中に置き忘れられた傘だ。にもかかわらず、「海の駅」と題された連作の中でこの一首を読むと、背後にあるドラマを色々と想像したくなる。また、不思議と郷愁を誘われる。潮の香りのするスケッチブックをめくっているような、子供の頃の懐かしい光景に出会ったような感覚。

傘の柄を逆さまの疑問符に見立てているのも面白いが、傘はどのような向きで置かれていたのだろう。「偉大な質問になりたい」と言ったのは寺山修司だが、日常のあらゆるものは問いを発する媒体になり得る。ただし私たちは世界を自分の見たいようにしか見ないから、何を問いかけと受け取るかも人それぞれ。作者の感性は、電車の置き傘からどのような質問を受け取ったのだろうか。

二首目、作者にとっての終着駅「海の駅」に近づくにつれて、増えてゆく空席。ここでも「今そこにないもの」に着眼することで、その数だけ下車していった人がいるという事実をかえって際立たせる。人生で出会い、別れてきた人たち。旅立っていった人たちへの思いを重ねているのかもしれない。

「また会おう」小さき拳ふり上げて駆け行く孫よ明日も来るのに   原 まゆみ
一歯をば抜き取るように消してゆき解体終えて空は広やか      同

「また会おう」と無邪気に言い残して走り去る孫。その背中を眩しさと切なさの入り混じったような気持ちで見送る作者。孫にとって「明日」とは、光に満ちた草原がどこまでも続いているように、はるか彼方にあるものなのかもしれない。だが作者にとっては眼前にせまった切実な「明日」だ。結句が効いている。

二首目、家族の思い出の詰まった家を夫亡きあと、いよいよ解体することになったときの歌。重機に取り壊されてゆく様子を「一歯を抜き取る」と喩えたところがユニーク。孫の歯の生え変わりも連想させる。豊かに広がったイメージを説明してしまうような「消してゆき」には一考の余地があるか。だが解体後に晴れやかに広がる空は、かすかな感傷を胸に、新しい生活への一歩を踏み出そうとしている作者の希望を感じさせて清々しい。

続いて総合誌は、角川の「短歌」4月号の巻頭作品から。

死ぬる無きいのち儚したとふればボトルシップの綺麗な帆船   高野公彦
埋墓(うめばか)と仏壇のあるこの日本スーパーに常に供花売られをり   同
「226(ツツム)の日」などと言ふらしこの国が坂をころがり落ち初めし日を   同

ボトルの中で永遠のいのちを与えられて帆を張る船に、近代化の海原へ揚々と漕ぎ出した明治の時代を思う。だが綺麗な帆船は、上品に設えられた部屋のインテリアでもなければ、作者のダンディズムに花を添える道具でもない。そこに注がれる作者のまなざしは、色濃い諦観に満ちている。そのまなざしは、私たちが生きるために買い求める食料品の傍らで、当たり前のように売られている供花にも向けられる。当たり前のものとして見過ごしがちな日常に潜む危うさと儚さを、作者はあくまで冷静に、客観的に詠いとどめる。

老境に入った作者ならではの客観性は、自国に対する「この国」「この日本」という言葉遣いにも表れている。そういえば、国会議事堂の前でデモを繰り広げていた学生たちが勇ましく連呼する「この国」に言い知れぬ違和感を抱いたのも、この歌を読むと納得がいく。坂の上の雲を目指した日本が、坂から転がり始めた日。今の日本がそのような歴史上の出来事と地続きにあることを噛みしめ、「この国」という言葉を自らのものとして発するまでには、作者が過ごしてきたくらいの年月と、人生の深い経験が必要なのだろう。

三首目には、「二月二十六日は、風呂敷記念日」という詞書がついている。つい最近、日銀の旧館見学ツアーに参加する機会があった。私が参加した回には、どこかの企業の新人研修だろうか、真新しいスーツに身をつつんだ若い人たちの一団がいた。関東大震災と戦火を生き延びたネオバロック様式の薄暗い建物の中で、私たちは歴代総裁の一人、高橋是清の肖像画の前に立っていた。「その親しみやすい顔でダルマさんと呼ばれ、慕われましたが、残念ながら二二六事件で暗殺されました…」。形式にのっとってさらさらと進む女性ガイドの説明に、神妙な面持ちで聞き入る新入社員たち。二月二十六日を語呂合わせで風呂敷の日と記憶するほうが、今の「この国」を生きる彼らにとってのリアリティーなのかもしれない。さて、私はどうだろう。

歌評(月2回更新)

ページのトップへ戻る