2016年10月15日(神谷 由希)

道の辺の尾花が下の思ひ草今更々に何をか思はむ    作者未詳
(萬葉集)巻10・2270

転居して、今迄より身の回りの自然に眼をとめる事が多くなった。市街地に住んでいたので、更地になった場所に生える雑草か、街路樹に季節を感じる位だったが、今は好きな曼珠沙華も、懐かしい蚊帳吊草も身近に見る事が出来る。抄出の尾花と呼ばれる薄も、手近な所に群生していて、花屋で買っていたのが嘘のようだ。「思ひ草」とはナンバンギセルを指すようだが、尾花の根元に隠れるようにうな垂れて咲いている様子が、もの思いに耽っている風情にみえるからと言われる。夏の雑草は猛々しいが、秋の雑草は思いがけない実や、慎ましい花を咲かせるのもあって、何か好ましい。

歌評は結社誌十月号より。

いつか領巾をふりてみせたしわが家の衛星画像示す男に     大沢 優子

Google Mapによって、建物、街路はおろか、個人の家の所在地までも、まざまざと画面に表示される。情報の秘匿の為、時に日常生活の不便を感じさせられる時代にあって、何かひどく不気味にも思えるが、作者は余り親しくもない男性に、自宅の映像を見せられて些か不快に思っているのであろう。「領巾をふる」は古来、どちらかといえば愛の表現である筈なのに、この歌では揶揄を帯びた使い方をされていて、読む側の苦笑を誘う働きをしている。

泳ぎ疲れし子らの背中に夕光の少し届かず浜は暮れゆく    土川 誠子

多くの遊泳者が帰った後の、浜の情景が見えて来る。大方は地元の子供達であろう。もう既に真黒に日焼けしている背を、沈まんとする太陽に向けて帰り仕度をしている。その様子が映画の一シーンのように、浮かびあがって来る。逆光の一瞬を捉えた錬達な作品。

手品師の白手袋は薄汚れ破れ穴から鳩首を出す     山口 竜也

観察の鋭さを言うべきか。ある種の譬諭と思うか。連作の前部を読むと、夏祭りの催しがあってその余興のひとつだろう。手品の鳩は通例、帽子(シルクハットとか)が、手巾の中から出るように思うので、手袋の破れ穴から出たのは趣向でなければ、手品師の迂闊が、鳩にとっても窮屈そうな気がする。「薄汚れ」が、手品師の様子を窺わせて面白い。

鉄棒でぐるぐるまはる校庭が上になつたり血のにほひがしたり  長谷川と茂古

作者の回顧と思うが、子供達が校庭で遊んでいる様を見たときなど、一瞬こんな感覚が甦る事がある。「ぐるぐる」で、かなりの速さで回転しているのが分かるが、思いがけず校庭にあった諸々のもの、校庭そのものが自分の上に落ちて来るような、また小気味よく全身の血が逆流するような感覚は、誰しも経験する所であろう。握りしめている鉄棒もまた、汗ばんで時に「血のにほひ」がする。

泡立たぬビールは喉をすり抜けて消化しきれぬ「道理」にうまし   山下 聖水

上句と下句で否定しながら、結句で「うまし」と納得している。アルコールを嗜まぬので、喉をすり抜ける感じはよく分からないが、「道理」も今ひとつ分からない所。単に泡立たぬビールでも、理屈抜きにうまいと言っているだけではつまらない。ビールは美味いのだが、消化しきれぬ鬱屈をも抱えて飲んでいると思うほうが、「泡立たぬ」が活きて面白いような気がする。

続いて「現代短歌」十月号より。

特集「猫のうた」とある。世を挙げて猫ブームとやら、猫カフェはおろか、専門のクリニックからグルメ、衣装まで枚挙に遑がない。今月の結社誌にも猫の歌は散見する。特集というので、猫好きの身の思わず知らず手に取ったが、流石に甘いだけのものではなく、猫なる命題を介して、古典に現れる猫、有名歌人と猫の関係(「僕は猫する」と題した寺山修司の詩篇に於ける猫の存在、[頁を抜け出して姿を消す])など、さまざまな識者の視点から書かれている。中でも故河野裕子氏について、永田紅氏が書いている一文中の「猫袋」が、感情過多とも言える故人の姿を描き出して、淡々としていながら何故か切ない。

猫を抱くこの重たさにずっぷりともぐり込み私なんだか猫なんだか
河野 裕子『葦舟』

飼猫にヒトラーと名づけ愛しゐるユダヤ少年もあらむ地の果て
春日井建『行け帰ることなく』

背中丸く腰の曲がりし隆明とその後ろをゆく白い猫
大島 史洋『ふくろう』

河野裕子氏の歌とあとの二首を比較してみると、虚と実の猫の詠われ方がくっきりする。どちらも猫は狂言廻しの役であって、作者の狙い所が読みとれるのである。
付記として「猫百態」より六首を挙げる。

猫も食ひ鼠も食ひし野のいくさこころ痛みて吾は語らなく    宮 柊二

母となるを拒む胸なり春暁に猫の卵のごとくけぶるは      荻原 裕幸

愚痴多き定家の猫性みえきたる今ぞ親しき「明月記」繰る    春日真木子

猫茶碗洗ひおきしが夜更けて帰りし夫が飯を食べたり      馬場あき子

<迷ひ猫のお知らせ>書いて子と下げた冬芽もつこの朴の枝にも 米川千嘉子

飼ひ猫が放火現場を見て来たと云へり煙のやうな春雨      菊池 裕

歌評(月2回更新)

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