2014年5月1・15日(長谷川と茂古)

今年の薔薇は、咲くのがなんだか遅い。西のほうではいつも通りのようだが、ここ北関東(利根川を越えた北)では、黄金週間を過ぎて二週間、ようやく咲きはじめた。
結社誌5月号は「春日井建没後十年」特集。荒川晃氏、加藤治郎氏ら八名によって、記憶のなかの春日井建が語られている。なかでも荒川晃氏の「作品の背景あれこれ」が興味深い。屠殺場を見学したときのこと、奥三河の花祭りに行ったときなど、実際の出来事と作品を挙げて解説されている。<建は外界三割、内面七割を視野に入れて物を見る見者>。浅井慎平との三人組のエピソードは、大変貴重なものである。
さて作品へ。

何も無き山道なりし街道を走破して〈光が丘〉めざしき    大塚寅彦

あれ以来開きしことなき門扉とも見えて読めざる姓の人住む    同

「師は在す」より。〈光が丘〉という場所は、春日井先生のお住まいがあった所、中部短歌会編集の場でもあった。大塚寅彦第一歌集『刺青天使』の冒頭におかれている「光の丘の壮年一樹ゆ立ちきたる風とやわれの生きて負ふ風」がすぐに浮かぶ。師亡きあと、中部短歌会編集発行人を担われてきたこの十年、結句を思えば予言めいている。一首目、「走破して」目的地があった。「光」は春日井建そのものとも読める。二首目、春日井家は光が丘に現在はなく、別の方の所有となっている。懐かしくてつい、足を運んだのだろうか。表札をみて「ん?なんと読むのか分からないなあ」と思いながら、以前とは異なる風景に戸惑うような、時の隔たりに立ち尽くす作者がみえてくるようだ。

ひかり踏み風踏みゆける春の靴菜の花揺るる陣屋跡まで    吉田光子

暖かき陽に鞣(なめ)されて公園のベンチの木目ひたすら優し   同

「空をほどく」一連より。よく吟味された言葉遣いである。春の靴が踏むのは「ひかり」や「風」というところ。下句には「春」「菜の花」と続けてさらりと仕上げた。二首目、日焼けして、薄い色をしたベンチだろうか。「陽に鞣されて」が眼目。結句の「優し」によって、居心地の良さが分かる。

グーグルに検索なしてアパートの二階の位置を写しくれたり   大和田美奈子

新天地の街並みを追う指ひとつスマホの画像に夢は膨らむ      同

他県への進学が決まったお孫さんの歌。現代らしい風景である。どんなところに下宿するのか、グーグルマップで様子がわかる。二首目、これから引っ越す街の様子に目を輝かせているのだろう。お孫さんを傍でみている作者も楽しそうな感じが伝わってくる。

総合誌は「北冬」No.15より。「生沼義朗責任編集―「関係の現在」」として、昨年行われた『関係について』批評会を収録。他に生沼氏推薦の若手(同年齢以下の方たち)による、「関係」を主題とした作品と100字の文章(ちょっと短いのではないか)が掲載されている。批評会については、筆者も参加したので、そのときの様子を思い出しながら読んだ。本当によく笑った会だった。ことに小池光発言が面白い。ほんの一部であるが、紹介しておく。

―・・・「東北線ひたすら下る車窓には〈これでいいのか北上尾〉とある」とあるけれども、大宮から東北線に乗ったら北上尾には行かない。蓮田のほうに行っちゃう。ですから、これは「高崎線」の間違いで、高崎線と東北線をまちがってしまったのでは、もうはちゃめちゃなんですよね。・・・―

唐揚げと昆布巻きひとつずつのこる食卓 苦しいな家族は    染野太朗

遠慮の塊、というのだろうか。食卓のおかずの残りを詠って、家族の関係を「苦しい」と吐露している。作る側からすれば「食べて片づけるか」という程度の量ではあるが、この歌に描かれているのは、居心地感なのである。唐揚げひとつ、昆布巻きひとつ、そして作者、あるいは父、母、きょうだい。それぞれの〈ぽつねん感〉。じゃあ、楽しくいつも笑って過ごしている家族がいいのか、というとそうでもない。どういう状況がいいのかわからないのが家族関係なのだろう。

歌評(月2回更新)

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