2017年12月15日(吉田光子)

「頸椎の5番目と6番目がずれていますねえ。」整形外科の医師は、レントゲン写真を指し示しながら、私に言った。そのせいで、腕に強い痛みが走り、手がしびれるのであるらしい。握力はすとんと落ち、特に小指の感覚が怪しい。小指に力が入らないと、お箸を持つのも歯磨きも心もとない。財布からカードを抜くのも一苦労である。ハサミの開閉や機器のボタンを押すのさえ労力を要する。日常の動作にどんなに小指が大切な役目を担っているかを思い知った。小指は、約束をする時のためだけにあるのでは決してないのだ。私は、ふと、短歌における助詞の力を思った。小さな助詞ひとつで、歌は劇的な変貌をとげることがある。助詞の選び方次第で、おおらかな風格をまとうこともあれば、羽化を果たして豊かな詩情を紡ぎ出すことも可能なのだ。痛みに心が萎えそうになりながらも、三十一文字の持つ世界の豊かさをしみじみと考えずにはいられなかった。

では、結社誌「短歌」12月号から。

外出より戻りて見遣るわが家はトトロの森のごとき小暗さ    洲淵 智子
黒日傘さして出で来ぬ歌会に逃げ水のやうな歌ばかり並ぶ      同
少数派の自分に疲れ帰る道だんだら模様のゆうやけこやけ      同

一首目の「トトロの森」という把握が温かく楽しい。その小暗い森に包まれて、作者は安らぎを得るのだろう。二首目、「逃げ水のやうな歌」とは、どのような歌なのだろうか。とらえどころのない歌というか、中身が無く表面だけを短歌のかたちに美しく取り繕った歌 ということを意味しているのだろうか。見透かすような視線が痛い。「黒日傘」が映像を効果的に立ち上げ、また心象を暗示して巧みである。次いで、少数派のやるせなさが、ふと零れた三首目。作者をそしてすべてを包み込む夕焼けの何とおおらかなことだろう。「だんだら模様」という表現が歌を明るくまた哀しくもして素敵だ。「ゆうやけこやけ」は、旧かな表記であれば、「ゆふやけこやけ」かと思う。

ヘリの音絶えず聞こえる街に住むあまたの既読スルーと共に  吉村実紀恵
もう何度機体を立てなおしたのだろう不時着の地に羽を休めて   同
もう触れてくれないことを知りながらそばにいる秋の色を深めて  同

どの歌からも、都会の孤独な息づかいが伝わってくる。「既読スルー」が醸し出すのは人と人との淡白な関わり方と言えようか。疲れたため息のような、それでいて一途な想いを秘め持つような、不思議な魅力をたたえた一連である。

方代の恋を知るとふ南天の色づき初めて秋は闌けゆく     勝又 祐三
この街に葬祭場のビル建ちて老人ホームと高さを競う       同

山﨑方代は、世間から距離を置いた漂泊歌人として知られ、ありのままの表現で、人々の心に響く歌を詠んだ。代表歌のひとつとして、「一度だけほんとうの恋がありまして南天の実が知っております」が挙げられよう。方代のこの歌を踏まえた一首目は、円らな実を見つめる作者の眼差しが(そしてそれは方代に注がれるものでもあるのだが)、深い優しさに満ちている。ほんとうのと言い切れる、しかもそれは一度っきりであったという方代の恋に思いを馳せながら、作者は闌けゆく秋のただなかにいるのである。一転、二首目は社会の現状を少し斜めの目線で切り取り告発している感がある。高齢化へと一層進む社会であれば、このような光景が、これからます増えてゆくのかも知れない。

次に、「歌壇」12月号から服部真里子さんの歌を取り上げたい。 服部真里子さんは、歌壇賞、日本歌人クラブ新人賞をはじめ、数々の賞を受賞した気鋭の歌人である。その一方で、〈水仙と盗聴、わたしが傾くとわたしを巡るわずかなる水〉という彼女の一首に、小池光さんが「まったく手が出ない」と拒否反応を示し波紋を広げたことは記憶に新しい。そんな彼女が「マクベスの正気」と題する一連を寄せている。

水道の水を細めて晩秋の水きらきらと狂わせている      服部真里子
残光があなたの髪につくる輪の触れたら狂ってしまう王冠     同
星の数ほどあるという人間の罪みな光したたらす夜        同
マクベスの正気かなしもうつくしい紙飛行機を野に捨てにゆく   同

四首、挙げてみた。晩秋の光がよじれるように水道水にきらめく様子を詠んだ一首目は「狂わせて」と歌ったところに作者の鋭い感性と周到さが見える。二首目では髪に光が当たってできる環を王冠になぞらえて、王座への野心に燃えるマクベスを浮かび上がらせようとしているのだろうか。また、誰もが罪を持つことを詠んだ三首目において、したたっているのは彼の野望が呼んだおびただしい血に重なってこよう。狂気や罪を歌ったこれら三首に対し、四首目で作者は、かなしいものとしてマクベスの正気を見つめている。犯した罪の大きさに苛まれ怯えるマクベスの姿に、人間として残され保たれた正気を見い出していると言えようか。誰もが裡に持つ愚かさに、静かに焦点が絞られてゆくような気がした。

歌評(月2回更新)

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