2012年5月1日(近藤寿美子)

新緑が鮮やかな季節となった。街路樹のハナミズキは白や薄いピンクの可憐な花を開き、街にさわやかな風を運んでいる。ハナミズキは日本が初めてアメリカに桜を寄贈した際に、その返礼として贈られた花である。今年はその桜の寄贈からちょうど百年。日米の友好を深めるため、両国でさまざまな記念行事が催されているようだ。

さて、結社誌、総合誌ともに、春の歌が多く並んだ。まずは、結社誌『短歌』四月号から。

打ち消せど残花のように揺れやまぬ鬱という文字 春のカルテに 中畑智江

鬱という文字の右下、彡部のさんづくりのせいだろうか。「鬱」という文字が、春の風に散り残る小花のようにも見えてくる。打ち消そうとしても揺れやまない鬱屈した心の様子が、残花に投影されて印象的だ。「春のカルテに」によって、四句目までのややシリアスな湿り気が、少し明るく軽やかに転調されているように思う。

青年は水仙になるいざこざを重ねてわれは老人になる 間宮喜久子

ギリシャ神話に登場するナルキッソスという美しい青年。水面に映る自分に恋をして、水辺から離れられずに死んでしまうのだが、そこに一輪の水仙の花が咲いた。神話の幻想的な世界から一転して、「いざこざを重ねて」というやや世俗的な歳月が流れ、現実へと引き戻される。俗になりそうなところだが、水仙と老人という対比に新たな物語性も感じられる。

触点は紙の表裏を探しをり湿度の低き立春の朝 川田 茂

皮膚の感覚点のうち、接触によって刺激を感じる点のことを触点という。硬質な語群で構成されたこの一首。立春の朝の静謐さが、一枚の紙に凝縮されているようでもある。指は紙の表裏を確かめるため、乾燥した朝の冷たい空気の中で、静かにその感覚を研ぎ澄ましているのだろう。

続いて、『短歌研究』五月号、特集・現代代表男性歌人作品集から。

春の浜をはなれて死者の渡りたる海境ひろくひかりて見えず 宮原 勉

津波によって海へと流されてしまった人々の死を、心を尽くした柔らかな言葉で表現して、歌は深く穏やかな広がりを見せている。また、上句の「春」「浜」「はなれて」の「は」音の静かな重なりが、下句の「ひろく」「ひかりて」の「ひ」音の重なりへ移行するとき、後者の響きが僅かに強調されて感じられる。抑制された情感の中にも、心の奥から洩れくる思いがしめやかに伝わってくるようだ。

涅槃図の嘆くけものにわが前世まぎれをらずや春の望月 大塚寅彦

旧暦二月十五日の満月のもとに、沙羅双樹の林の中で釈迦は入滅したと言われる。その様子を絵にしたものが涅槃図で、そこには釈迦の入滅を悲しみ嘆く、数多くの人物や動物が描かれている。春の淡い満月を仰ぎながら、そこに存在するけものの中に、ふと自らの前世を思ったのだろう。命あるものの、すべてが等しく持つ一つずつの命に、そっと心を寄せたのだろうか。

歌評(月2回更新)

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