2016年3月15日(長谷川と茂古)
ようやく暖かくなったが、風がつよい。うらうらと春の陽射しにあたることができるのはもう少し先になるだろうか。先月の歌評で、堀田季何氏の第一歌集『惑亂』の書評特集を中部短歌三月号とお知らせしたが、編集の都合で五月号となった。訂正してお詫びいたします。延びた分、誌面を増やしてお送りできる運びとなった。どうぞお楽しみに。
さて、歌評は結社誌三月号から。
チターの音聞こえてくるよな道歩きトレンチコートを着た人探す 林本 泉
「ガードマン」タイトルバックの風景に憧れ札幌訪ねた秋も 同
よほどの映画好きでない限り、若い方には分からないかもしれない。「チターの音」(ツィターという表記のほうが今様か)といえば、映画「第三の男」。一首目の歌にでてくる「道」というのはラストシーンの風景だろう。「トレンチコート」はフィルム・ノアールやハードボイルドものにかかせないアイテムである。「聞こえてくるよな」は演歌調で、せっかくの雰囲気がこわれてしまうのではないかと思う。二首目、「ガードマン」は正確には「ザ・ガードマン」。こちらは日本のテレビドラマである。タイトルバックが札幌とは意外だ。首都高とか、夜の灯りの印象がある。事実をそのまま歌にされているが、「ガードマン」と札幌のイメージが綱引きをしているようで、結句の「秋」が活きてこない気がする。このあとに続く「稲沢の担当工場があったのは銀杏というよりギンナンの中」という歌の不思議な読後感に目眩した。おそらく担当工場へ続く道か、あるいは工場の敷地内に銀杏があって、実をたくさん落としていたのだろう。あの独特なにおいと担当工場の記憶が強力に結びついている、と思われる。
体温のあるうちに指くませばならぬ 祈りの形の美しくあれ 花 菜菜菜
病院のすぐそこは繁みふかく猛獣の檻の夜がくる 同
作者名に目がとまった。なんと読むのだろう。「はな ななさい」さん? やはり「ななな」さん? 病院で仕事をされているらしく、亡くなられた方に接する歌が何首かある。生きている人と死者との指がからまり、祈りの形へと変わる様子が美しい。二首目は5・5・6・8・5というかなり大胆な詠いぶりだ。できれば、作歌はじめのうちは定型をしっかり身につけてほしいと思う。病院の近くに動物園があり、夜がやってくる様子を描いた歌。繁みの怪しさが面白い。
鳥類図鑑開いて鳥を飛び立たす千五百メートルの山までも行く 三宅 節子
午前二時泣いて家出る吾子を追うあぁユニクロのツリーが灯る 同
一首目は、図鑑を眺める楽しさを描いた歌。「千五百メートルの山」が効いている。想像力が高く広がっていくような、わくわく感にあふれている。二首目、真夜中に親子喧嘩でもしたのだろうか。心配で子どもの後を追って外に出た。まあ、いくら心配とはいえ、眼に映るものはしっかり認識してしまうのが人間である。ちょっと笑ってしまったが、「あぁユニクロのツリー」がとても好い。
続いて、「短歌往来」2016年2月号より、古谷智子さんの作品「天の尾」からひく。
高層のエビスガーデンタワーより見下ろす雨の都心の奈落
太刀魚の泳ぎ去るごとひかりつつ過(よ)ぎる初春の午後の自転車
着飾りて手まねくやうな花並木ひときは白き一樹か母は
一首目、高層のタワーから「見下ろす」と視線を落とし、また、雨も落ちている。二重の「落」が結句の「奈落」へと結ばれて、とても技巧的な歌。下への意識が深い分、より「高層」が活きてくる。二首目、新しい自転車か、ステンレスの部分がよく磨かれているのだろう。光を反射してきらきらした自転車を「太刀魚の泳ぎ」と並べ、強く印象づける。はっとしたような心の動きが光となって街を過ぎていくようだ。連作「天の尾」は、新しい年を迎えて、今は亡きお母様のことを思い出されている作品である。花によせられて、人はいろいろなことを思う。これから、桜の季節が巡ってくる。楽しいひとときのことや、淋しい思いなど、花の魅力によって引き出されてくるのかもしれない。