第15回サイバー歌会 歌評
11 けむりなき工業団地の無機質に音絶ゆる午後さくら吹雪きぬ
いわゆる「ふるさと」を持たぬ身で、近隣に町工場が点在していた土地に馴染んでいた者としては、こちらの風景の方が「なつかしい」。煙も立たず機械音も 途絶える「わびしさ」。そこに降る桜の落花。或いはアスベストも混じって飛散しているやも知れず。「無機質に音絶ゆる」で蹴つまずく感あり。(誰鬼)現代の風景を切り取ったモノクロの写真のような歌ですね。稼動していても規制などで排煙も出ない、騒音も絶えている工業団地の午後に対照的に動きのあるあざやかな桜吹雪。工場敷地の植栽はよくある風景です。でも、この静けさに技術の勝利感はなく、影の薄い、無人の風景みたいです。しきりにニュースに登場する中国の工場地帯の喧騒と比べてしまいました。無機質という語はストレートすぎるとも思うがその通りだと思う。(服部文子)
昔の工業団地と違い木々の緑に囲まれた工業団地です。その静かさの中に桜がふぶく状態は対照的です。”無機質に音絶ゆる”が特徴的でもありますが”無機質に”が説明的な気もします。ある職場にいったら人がたくさんいるのにPCの音何かを送信する音がかすかに聞こえて人の話し声、鳥の鳴き声と違い神経に障ったことがあります。声も音も無いのに落ち着かない静かなのに静かでない場所でした。無機質という時それを思い出しました。無機質という言葉を他の言い方にした方がいいと思いました。 (mohyo)
「無機質」さえなければという一首。「けむりなき工業団地音絶えて」で充分無機質感がある。そうすると下句全体を桜吹雪の表現に使える。(大塚寅彦)
4句で大きく切れる歌で、映像的に言えば、無人の稼動していない工場地帯の午後、寸断されるように音が止まった、日差しを受けた工場からズームアウトしていくとやにわに画面を横切り始める無数の花びらといった感じじだろうか。煙も音もなくなって、何も生存していないかのような空間に満たされてくる花吹雪は、美しくもあり恐ろしくもあります。常に生成し消滅していく日常への、つかの間の葬送のようでもある。現実、私たちはこうした無機質な時間感覚によって毎日を送っているわけで、花はその毎日を野辺に送って、自らが先に散ってゆく。こうした微かなふれあいによって、私たちの日常は時計が刻むだけの時間にはならずにすんでいるのだろうと、何らかのかなしみのこもった実感がした。(黒田康之)
「無機質に」が直接的すぎるようですが、これはこれでいいと思います。栄枯盛衰をストレートに表したよい歌です。(ロン)