第15回サイバー歌会 歌評

12 無味無臭鼻腔から吸い込んだあのサリン分子は花より淡く

地下鉄サリン事件を詠う作者の思いが、句またがりの破調から感じられる一首。結句は言い差しではなく、「淡し」ときっちり終止形にしたほうが歌が締まったでしょう。「花」ではなく、やはり「桜」の文字を詠み込まないとこの作品の持ち味が出ないように思いました。ちなみに、矢部雅之さんの歌集『友達ニ出会フノハ良イ事』(2003年)所収の「サリン」と題する一連に「柔らかき光溢るる春の日を花粉の如く満たしゆくもの」という作品があります。(伊波虎英)

「吸い込んだあの」とあるので、直接の被害者なのかもしれません。特別の思いもあるのかもしれなませんが、この歌からその「思い」が感じられないのです。「無味無臭」「鼻腔」という熟語の羅列が少し早口で無感情に見えることと、「淡く」で結んでしまったことが原因ではないでしょうか。(ほにゃらか)

間接的な知り合いがサリンに巻き込まれ入院したと聞きました。無味無臭なので花より淡くといわなくてもよい気がします。無味無臭鼻腔といわれると何かの説明書を読むようです。他の表現の方がよいと思います。花より淡いを強調するのであれば“淡し”と言い切った方がはっきりすると思いました。(mohyo)

地下鉄サリン事件から11年、松本サリン事件からは12年の歳月が流れました。あの、という指示代名詞の使い方から、被害者の関係者とお見受けします。桜の花の散り際よりもさらにあっけなく人が斃れるのを「淡く」という形容で見事に記していると思いました。(村田馨)

「無味無臭鼻腔」の詠い出しが生きていなくて、「サリン」の恐怖感が薄れてしまっているように感じます。(ロン)


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