第15回サイバー歌会 歌評

16 サクラチル 赤門の道遥かなる子は電報を空に飛ばせり

目指す大学が不合格だったのですね。今の時代、電報など打たないでしょうから(携帯ですよね、きっと)昔のことですよね。サクラチルなんてー入学は桜が咲くことなのですね。、私も、電話の前で報せを待ちながら祈ったのを思い出します。「赤門の道遥かなる子」東大への道ですか、遥かなるなんて、出来の悪いことを痛快に詠んでられる。落ち込んでる親御さんに見せたいような。「電報を空に飛ばせり」ですかーーいいですね!
全篇を満たす躍動感、諧謔味、清々しいお歌です。(みずき)

「遙かなる子」とは、どういう意味なのでしょう。赤門(=東大)には遙かに能力の及ばない子という意味か、予備校に通うために実家を離れ遠く離れて暮らしている子という意味か、合格発表の当日、結果を確認するために上京したので家で待つ親から遠いとい意味か。筆者の中だけで消化されてしまった言葉のように思われます。空に飛ばした電報とは「メール」のことでしょうが、わざわざもって回った言い方をしなくても良かったかなと思います。(ほにゃらか)

桜というお題を見たときすぐに思い出されたことがあった。祈るように待ったどきどきしながら待った電報に「サクラチル」。赤門の道ですから東大を受験されたのでしょうか。当の本人はだいたい見当は付いていたかもしれない。電報をうちおしまいにする。受ける作者もご縁がなかっただけもっと他に良縁があるはずと心の切り替えができたのではなかったか。空に飛ばせりには力つよく前進しようとした感じがうかがえました。サクラチルと赤門はかなりの体験者がいらっしゃるのではないでしょうか。一つの時代がありました。ケイタイ時代の前です。(mohyo)

昭和の一こまでしょうか。受験生と合格電報は切ってもきれない関係でした。親の方が目を吊上げていた大学受験も当の子供はおおらかなもの。ある意味でのどかだったのかもしれません。(村田馨)

赤門は東大ですね。東大を受けたのだけれど失敗した。サクラチルでそれをうまく表現してみえます。紙飛行機で自分の辛さを飛ばしてしまうのですから、若者らしくじめっとしていません。さわやかでとてもよいお歌です。(伊藤京子)


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