第15回サイバー歌会 歌評
17 花ふぶくひとひらごとのつぶやきのエリ、エリ、レマ、サバクタニ
桜(和)から聖書(洋)への飛躍のあざやかさに唖然としました。特に三句目の「の」の使い方(下句への繋げ方)がすばらしく巧みです。ともすれば手垢のつきすぎともいえる「桜=儚さ」が、この歌の場合は臭みがなくすっと心に入ってきたのは、下句のフレーズに、自然に口からついて出たような感じを受けるからでしょうか。また、この字足らず(既存のフレーズだから字足らずにならざるを得ないのですが)が、作者の悲しみをいっそう引き立てていると思います。とにかく、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(神よ、何故に我を見捨てたもうや)」に胸が締めつけられる思いがしました。(寺川育世)上句・花吹雪の仏教的無常観と、下句・新約聖書の名文句との合体。それさえ知らなければ、ものすごく出来たように見える。花吹雪は、毎年、人々それぞれの感傷をそそるものだ。
実際、こうゆうテイストはとても好きな方だ。しかし、幸か不幸か、私はそれを知っている。「エリ、エリ、レマ(ラマ)、サバクタニ」…額に香油を塗られ し者・イエス=キリストが磔刑に処せられた際、発せられたと云われる唯一の恨みの言葉…「神よ神よ!何故にあなたは私を見捨てられたもうか!?」
残念ながらミスマッチというのか、もっと酷く言うなら、俳句における「根岸の里のわび住まい」的な使われ方をされる下句。花吹雪の「ひとひらごとのつぶ やき」を表現するには、宗教的表現が却って俗っぽく堕ちてしまった。もっと作者自身の声が聞きたいところだ。(誰鬼)
私はクリスチャンの母をつれて牧師様の解説を受けながらイスラエルを旅したことがあります。十字架を引っ張って刑場まで歩かれた細い道。イスラムタイムにはイスラムの祈りが拡声器で聞こえました。私は信者ではないので、パンもワインも頂かずに黙黙と従い、イエスの時代からの石段を触ってきました。 ですから、”エリ、エリ、レマ、サバクタニ”は呟きではないと思います。もっと血のにじむような恐怖と祈りの中で発せられた言葉のようです。(mohyo)
時季的にはキリストの磔刑とそんなに違和感ないはず、と記憶している。ゴルゴダに桜なくとも、という感じ。花吹雪の中に十字架刑の幻影が一瞬よぎる、それだけでも結構なインパクトだろう。実際はどうあれここでは花びらなのだから「呟き」でいい。(大塚寅彦)
歌全体が呪文のようだと思いました。なんだか不思議な感じがしました。(瑞紀)