第15回サイバー歌会 歌評
18 妙法を誦す声たえぬ幾百の年を重ねてしだれ桜の
境内を散策しながら、どこからか流れてくる題目の響きを詠まれたものか。歌に奥行きがあってすばらしい。美しい歌です。結句、「桜の」がちょっと不安定に思います。(川島千枝子)「誦」は音読み「ジュ」「ショウ」、訓読み「とな・える、よ・む」ですが、ここではなんと読めば良いのでしょうか。「誦す声」=「しょうすこえ」ですか?唱えるという意味なのは分かりますが、まず読み方でひっかかりました。また、「たえぬ」の「ぬ」は打ち消し「ず」の連体形で「幾百の年」にかかる(~声がたえない幾百年)なのか、完了の助動詞「ぬ」の終止形で二句切れ(~声がたえてしまった。 幾百年~)なのか不明確です。「たえぬ」の後に1マス空けたりもされていませんので、自然な流れから考えれば前者なのでしょう。だとすれば、ここは「たえぬ」とせずに、「たえざる」とされた方が、文法的にはすっきりとすると思います。「誦」の字の読み方によっては字余りになりますので、読み方もふくめて再考なさっても良いのではと思います。どちらにしても、「しだれ桜の」という結句では、文法的にズルズルと流れてしまっています。(ほにゃらか)
樹の寿命は誠に長く7000年といわれる杉もあります。人間はどんなに長く生きても120歳だそうでそれは平均寿命が伸びでも同じだそうです。桜の寿命は数百年という。みごとに咲いた花は1週間くらいで散ります。「みごと!」と見上げている時に何気に聞こえていた妙法を唱える声がとまった。そのことで妙法の声に気が付いたのかもしれない。若い僧の鍛えられた声張りのある声は誠によいものです。黒染めの衣に白装束は桜と案外にあう。幾百年もそこに花を咲かせるみごとさもよいし妙法を誦す声もいいので”しだれ桜の”でない終わり方がなかったのだろうか。個人的には ”妙法を誦す声”に惹かれます。(mohyo)
京都には、五山の送り火があり、そのために山に「大」「妙」「法」などの字が彫られています。このうたの妙法から、その視覚を思いました。結句の「しだれ桜の」から、また初句に戻って、妙法を誦すと言う循環があり、面白い歌だと思いました。(近藤かすみ)
古刹のしだれ桜を詠まれたのでしょうか。読経の声と年月と桜の花が重なっていくように思いました。(瑞紀)