第15回サイバー歌会 歌評

2 桜花(はな)の散るのちの思ひにひとときは淫けりたり春近き樹のした

「淫けりたり」というのは桜の花の一面であると思います。梅の花にはない。桜花(はな)は「さくら散る」ではだめですか。字を見ずに声を出して詠んだときにもわかりやすいと思います。(mohyo)

「淫」は音読みなら「イン」、訓読みなら「みだ・ら」、意味で訓読みすれば「ひた・る、ひた・す」でも良さそうですよね。送りがなから「ふけりたり」と読ませたいのだろうと思いましたが、ふつうに「ふける」と読む漢字を使うなら「耽る」ですね。「淫」の字で「ふけりたり」と読ませるならば、ルビが必要ではないかと思います。文字通りの「桜花(はな)の散るのち」に思いを馳せ、その想像に「ひととき」「淫けりたり」なのであれば、「ひとときは」の「は」の意図するところが分かりませんでした。さて、どうして「みだら」という文字をわざわざ使ったのだろうと考えました。もしや、「後朝」とか、そちらの方面の歌ですか?だとすれば、「は」は一時的な感情が冷めた感じを表現するために必要だったのかもしれないとも思えますし、「春近き樹のした」でもかまわないのだろうと思います。ですが、単純に字面の意味だけ追っていくと、「桜花の散るのち」と「春近き」の時制の矛盾が気になってしまうのです。(ほにゃらか)

花の咲く前から、散った後を思っている歌でしょう。桜花と書いて、はなとルビをふって読ませるのに無理を感じました。また、淫の読み方がわかりにくいので、こちらにルビがあってもいいと思います。淫という文字は、どちらかというと人間くさいので、花には合わないような気もしました。(近藤かすみ)

「淫けりたり」が読めず意味がよくわかりませんでした。「ふけりたり」であるとするとなんとなくわかります。この歌の今は「春近き」であって、花はまだ咲いていないのでしょう。花の咲いていない桜の樹のしたで、花が咲いて散った後の思いにひとときはふけった、ということでしょうか。何故散った後を思うのかということが、「淫」という字に関係してくるのかもしれません。例えば「樹」は女性であるとか。「春近き樹」を見てその樹が咲かせた花を散らせているのを想像するとかそんなことを、「淫」の字から思い浮かべてしまいました。(やすまる)

「淫けりたり」をどう読んだらよいのか分かりません。ですが、わざわざこの「淫」を使っているので、この桜は女性の喩なのだと思いました。(ロン)
前のページへ戻る
ページのトップへ戻る