第15回サイバー歌会 歌評
24 餡パンの臍に凹みし歳月も桜はなびら朽ちて食むまで
餡パンのへその部分に桜の花の塩漬けをのせたものがある。塩漬けになるまでの一年を余分に生きのびた桜だが、ここで作者に食べられてしまう。作者が餡パンの上の桜も、今年の桜の風景もすべて食べていく勢い、喜びを感じさせる歌だと思った。(近藤かすみ)意味をつかみきれなかったのですが、「凹みし」と「朽ちて」からポジティヴさよりネガティヴさを感じました。(やすまる)
餡パンの凹みにある塩漬けの桜は色も咲いているときに近く香りも咲いているときよりします。きつすぎないので邪魔にならず桜の咲いている情景をおもいださせてくれます。はなびら朽ちての”朽ちて”という感覚がわたしにはないのですが。餡ぱんは明治大正昭和をへて今は平成の餡パンです。少しずつ違う餡パンもできてそれなりの歴史あるパンですね。(mohyo)
せっかくの「桜はなびら」をユニークに料理した題材なのに、「凹みし歳月も」というような表現でわかりにくくしてしまっている。あんぱんの臍の桜はなびらを食べて私はなお命ふくらむ、というような展開の方が面白い。(大塚寅彦)
百円硬貨の桜のレリーフを詠んだ歌もありましたが、それ以上に思いがけない着眼で意表をつかれました。何となくネガな気持ちをパンの臍の凹みに託して、桜の咲きと引っ掛けている点が独特な想いを味あわせてもらえます。ただ、「はなびら朽ちて」の「朽ちて」を気持ちではなく「食む」物への表現として、別の言葉はないでしょうか。(象)
餡パンを開発した木村屋の心遣いが桜の塩漬けとして今に到っているそうです。本作の「歳月」には明治期にできた元祖餡パンの歩んだ歳月も込められていると考えました。(村田馨)
味のある歌だな、と思いながらも、どこかピントの合わない気がして、なぜなのだろう、と思っていました。皆様のコメントを読んで、思ったのですが、餡パンの歴史的な時間と、一個の餡パンを前にした時間とのずらしが自然には流れていないのではないだろうか、という気がしてきました。「餡パンの臍に凹みし歳月」は一個の餡パンのこととは思えないから、明治期の創生期からの歴史と読むのが妥当だろう、と思います。それが「桜はなびら朽ちて」の部分で、そこに張り付いている桜の花(正確には花びらではなく、八重桜1輪の塩漬けなので、ちょっと疑問が残りますが)の年月を思わせながら、目の前にある餡パンの、塩漬けにされた一輪の花へとイメージをスリップさせて、結句の「食むまで」で一個の餡パンに視点を固定させる、という構造になっているのではないかと思います。しかし、「桜はなびら朽ちて」の「朽ちて」が塩漬けのこととするにはちょっと言い過ぎの感があるため、ずらしがうまく働いていないのではないか、というふうに思いました。(村本希理子)