第15回サイバー歌会 歌評

3 この年の桜の花を浴びながら天下国家をおもわずに呑む

豪快な男の歌と感じる。<この年の>が曖昧で歌の力を削いだ。(やそおとめ)

桜が咲けば心浮かれて日頃の諸事を忘れ花見に興ずるのに、なぜか歌に詠むとなると人生やら天下国家のことを桜に託す日本人。そうした方向で類型を脱却した新しい切り口の歌を生み出すのはなかなか難しい(ゆえに腕の見せ所でもあるわけだが)。今回の詠草の中にもそんな歌がいくつかあったけれど、僕はこの作品の詠いっぷりのほうに好感を持った。(伊波虎英)

「この年」、ひとまず良かった母と見る最後のさくらと車椅子を押した年もありました。母は元気を取り戻しましたが脱臼するために車椅子にも乗れません。でも病院の窓から見える景色を共に楽しみます。「天下国家をおもわずに呑む」、「飲む」ではなく「呑む」がいい感じでした。天下国家を思ったことが無い人はこういう言い方はなさらないでしょうしおいしそうなお酒ですね。(mohyo)

桜のイメージからは可憐、繊細な面と散り際の潔さに集約されがちですが、この作品はどちらからも離れている点で個性的です。「おもわずに」ということは逆に天下国家を思っていることを示唆しているわけで、そんな逆説的な表現も効果的です。(村田馨)

国家と桜というとどうも固定したイメージになってしまいがちですが、この歌は「この年の」という歌い出しがさりげなく上手く、また「天下国家」と世界を広げておいて、「おもわずに呑む」と最後は自分にひきつけたところが、とてもよくまとめられていると思いました。骨太な印象の文体もよかったです。(春畑茜)

男らしい歌だなと思いました。今年は天下国家をおもわずに呑まれるとのことですが、以前は天下国家の行く末などを思い呑まれたこともあったのでしょう。と、ここまで書いてもしや官僚でいらっしゃったのかなと思いました。(瑞紀)
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