第15回サイバー歌会 歌評

5 桜花みつつ咲かせて銀色のコイン吸はるる夜の自販機に

「みつつ」は「三つ」で、百円硬貨のデザインを詠んでいるんですね。表記は「三つ」としたほうが良かったのでは。「見つつ」と読んでしばらく歌の解釈に悩みました。「三つ」という数え方自体も稚拙で、ここは「三輪」とすべきでは。目の付け所は良い作品ですが、全体的に旧かな表記とのアンバランスを強く感じた一首です。特に桜という日本的な素材と、100円硬貨を「コイン」と表現してしまった軽さとがすごく不釣合いなようで違和感を覚えます。(伊波虎英)

自販機の灯りに浮かぶ白い桜と百円硬貨の銀色の桜とが交じりあうような、視覚的にとても美しく心惹かれる歌です。と書くのは、私が完全に「みつつ」=「見つつ」だと思い込んでいたからなのですが、これって実は「三つ」のことなんですね!いい歌だけに、誤読を誘いかねない表現は損に思います。
伊波様案の三輪はなるほどと思いますが、三房(みふさ)の方が音的に美しいのではとも考えました。でも、百円硬貨の桜はどうみても「三房」ではなく「三輪」ですよね・・・。「コイン」の軽さは私も気になりました。
原歌の歌意を曲げるような批評は良くないと思いつつ、本音を言えば、現実に桜を咲かせて百円硬貨の桜(銀色のコイン、だけで百円硬貨の桜を想起させる)とオーバーラップさせる構成にされた方がよりイメージの拡がる歌になるような気がします。(寺川育世)

百円白銅貨に目を付けたのが面白い。銀色の桜の花がいくつも自販機の闇にほの明りしているのが見える。(やそおとめ)

「桜」というお題で「百円玉」を思い浮かべる発想が面白いと思いました。もしかして、夜の自販機にコインを入れたのに、商品が出てこなかった。という意味かなと感じました。お店の人もいないような夜の自販機に、お金だけが吸い込まれてしまうこと、ありますよね。自販機がずるい生き物のように感じられ、「吸い込まれた……」という思いを詠まれているのかなと、妙に頷いてしまいました。ただ、コインを吸い込んでしまった自販機を中心に詠っているのならば、その辺の不満感が若干弱く感じられます。吸い込まれたコインそのものの描写については、「~咲かせて」という能動的な表現から、「吸はるる」という受動的な表現に移行するあたりに何か意図があるのでしょうか。(ほにゃらか)

桜のお題にコインの桜の花を選んだのは凄い。みつつはやはり「三つ」がいいと思います。「夜の自販機」という言葉は、使い方次第ではやや、既視になりそうですが、ここでは銀色の桜の花を飲み込んでゆくというイメージが鮮明で成功していると思う。(大屋邦子)

初めて公開された夜この歌の意味が全然わからずに大ショックを受けしばらくここに来られませんでした。しかしみつつが三つということだと知り安心しました。若い人の言葉は英語よりわからない英語は間違いなくかいてあれば辞書で引き見当が付くのですがその類かと早とちりしました。面白い視点だとおもいます。ショックをうけたのでもっと思い切り“春の夜自販機が桜の花を吸い込んでいる”としてもいいかなと思いました。(mohyo)

百円玉の歌と教えてもらうまで読み過ごしていました。やはり雰囲気のある視覚的に美しい歌だと思う。桜という象徴性の高い語に対しコインはイコンという語を想起させる。言葉の選び方が上手いと思った。「みつつ」の箇所はどう読んでも表記しても少しつまずいてしまう。(服部文子)

前言撤回します。「みっつ」と声に出して詠むとすんなり詠めました。夜、桜、銀などの語に引っ張られてしまいましたが、コインの軽さもちょうど良いと思えました。白銅貨である100円玉には桜も三輪ほどが相応かなと納得。でもあらためて良い雰囲気の巧みな歌と思いました。新かなで「みっつ」とあれば読み違えなかったと思う。目で躓くこともあるんですね。(服部文子)

桜という題詠から百円硬貨を素材した点に脱帽します。(村田馨)

コイン、自販機、の金属性の硬いイメージの中に夜の言葉が挿入されたことで見慣れた夜の一断片に潤いをもたらせてくれたように思います。発想の意外性に思わず百円玉を財布から取り出し、しげしげと桜の図柄を眺めました。(上村霞)

「みつつ」でひっかかり解釈に困っていましたが、とても気になっていた歌です。百円玉のデザインだと分かり、自販機が硬貨を飲み込む目の付け所も面白く、改めてよい歌だと思いました。(ロン)

前のページへ戻る
ページのトップへ戻る