春日井建百首選(大塚寅彦選)

『行け帰ることなく』

女を抱けば水兵きみには海霧に潰れし視野より暗からむ視野

逞しく草の葉なびきし開拓地つねに夜明けに男根は立つ

わがうちの追憶街に燈(ひ)はともりポオの少女妻仄かに歩む

革命よりガラスの玉を愛すれば生きのびて寒し市民ケーンも

飼猫にヒトラーと名づけ愛しゐるユダヤ少年もあらむ地の果て

ひとしれず罪を愛せしわれのため鐘打てりルドンの鐘楼守は

熱砂に伏して妬むはポンペイの恋人ら相抱きて化石せしこと

瞑りつつ指頭つらぬく血を弾けば破れゆくソナタの古典形式

弟よエロスよわれらを迎ふる陽は山の礼節のごとも明るし

な笑ひそ脂(あぶら)うきたる村人ら雪喰ふは飢ゑゐるのみにはあらぬ

この祭はかなしみ多し雪が疾り鬼が裸体であることなども

わが杜国わが鷹の不在ひさしきに壮(さかん)なる雲立つ伊良湖岬

ページのトップへ戻る